長崎で考えたこと

3日目の予定は迷った。思ったよりも小さな街なのでほぼ回れてしまって半日分が空いたのだ。ベッドの中でタブレットを触りながら調べてみる。スマホは慣れないので旅行にはタブレットを持っていたい。

宿のすぐそばが港なので軍艦島を考えた。しかし、風速や波の高さの制限で上陸できるのは年間で100日という。風を調べると海上は10m以上の予報だからこれは無理だ。

女房は眼鏡橋のカステラ店に行きたいと言う。お土産や贈答に全く関心が無い俺だが、たまには彼女の希望も受け入れようと、そちらに向かった。

昨夕に歩いた所だが朝の風は冷たくスケッチどころではないので、碑文や彫像を見て歩く。眼鏡橋も中国から渡来してきた僧侶の指導で造られたとある。

17世紀にたくさんの石橋が造られたのは素材に恵まれただけでなく、技術の伝授があったからだろう。九州に石橋が多いのはそんな理由かもしれない。

上流方向に歩くと一筋ごとに石橋が架けられている。大半はアーチ型で歩く人しか通れない。川を水運に使った様子もないから、工学的な理由からアーチになったのだろう。

それらがとても素敵な景観を作っている。

歴史を感じさせるけれども、眼鏡橋以外の橋は40年前の大水害で破壊、流出して再建されている。1時間あたりの雨量で今も最高記録を保持していて、当時の映像を見ることもできた。

丁寧に復元して良かった。これは長崎の宝だ。カステラを買いに来て思わぬ景観に巡り会えた。とても素敵な散歩道。

橋は造形や文学、音楽でも重要な主題になっている。

思案橋ってのはすごい命名だが渡月橋、戻り橋、月読橋、ベッキオ橋、ポン=ヌフ、ロンドンブリッジ、ガラタ橋、サンタンジェロ橋とこれまでに訪れた橋の名前が次々と思い出される。

実用を超えた想いが橋に込められている、としか思えないほどに多くの橋が架けられているこの街に住んでみたい。

橋を見て歩くと諏訪神社に着いた。石造の鳥居を幾つもくぐって73段の階段を上ると市内が一望できる。ここは長崎くんち祭りの舞台になるところだ。

唐風色の濃い祭りを主導したのはキリシタンからの脱却を目指した徳川幕府だったとか。たくさんの仏教寺院や中国からの仏僧の招来なども政策だったのだろう。

旧植民地の国々が今も貧窮して隣国との憎悪で安定できずにいる。布教という名目で植民地拡大を支援した宗教の罪は大きく深い。殉教が美化されるが事実よりも大事な嘘がある。清濁併せ吞む術を熟知しているカトリックはそれを知っているし実践もしている。共産主義革命でも同じような構図があった。純粋な信仰と腹黒い策略。困ったものである。

諏訪神社から市電に乗って平和公園へ。

女房は乗り気じゃなかったが見ないわけにはいかない。

北村西望のモニュメント像は吉祥寺のアトリエで見た原型以上にひどいものだった。ヒットラーだったら賛美しただろうファシスト彫刻。長崎出身ということだけで選んだのか?公園内の他の彫刻も低次元のもので悲しくなる。

資料館内にある浦上天主堂を再現した彫像は優れたものだけに残念だ。

彫像の前に次々と小学生の団体がやってきて「平和学習」をしている。

整列し、代表が出てきて決まり切った言葉を読み上げ、号令に従って全員で黙祷やお辞儀。これって軍事教練じゃないか。

もともと学校教育は文教だけでなく軍事の必要から生まれていて、その経過や方法が検証されず、反省されることなく続いている。

知人の息子は平和学習で兵器に興味を持ち、自衛隊に入ると言いだして困っていたが、俺だって小学生の時は軍事パレードを見に行って戦車に夢中だった。プラモデルはすべて戦闘機か軍艦。男が主導権を持っている限り、戦争は無くならないだろうな。

1泊目の夜にタブレットで映画「ブラック・クランズマン」を見た。

スパイク・リー監督のKKKと黒人差別をテーマにした反トランプの作品で、差別の根深さ残酷さが鋭く描かれていた。

広島、長崎に原爆を落としたことと無縁ではない。展示を見ながら人間の業を想う。

駅前に戻り、温まろうとチャンポンを食べる。福岡行きのバスまでたっぷり時間があったので、さだまさしが小説に書いていた寺や墓地が近いので行ってみる。

聖福寺。山門と本堂は解体修理中だが残された御堂の痛み方が半端ではない。

鬼瓦を埋め込んだ土壁。スゲ〜!

この上の急斜面が墓地になっており、迷路のような細い道を辿っていくと民家も現れたが、幅60cmほどの道しかない。どうやって生活しているんだろう?

更に進むと民家が集まっているが、とても狭くて急な坂道だけしかない。

尾道とは比較にならないほどの険しさだ。

買い物、宅配、ゴミ出しなど、帰宅後に調べたら、背負子やソリ、キャスター付きの箱などすべて人力だった。救急や火災を考えると老人が住める環境ではない。

圧倒され、ため息をついて駅前に戻った。

殉教碑とガウディ風の教会を見てバスセンターに。

とても高速バスが発着できるとは思えない外見であり、その内部も半世紀前にタイムスリップしたかのようだ。

いいなあ、テレフォンカードの広告もある。ディーゼルの排気が漂う待合椅子で歩き疲れた身体を休める。

高速バスはJRよりも1時間長くかかるが運賃は半額だ。何よりも風景が見える。Wifiも使えるから現在地を地図で確認しながら車窓風景を楽しんだ。

福岡では数年ぶりに友人とリアルに対面。無事と元気を確かめあう。

90分で別れて新幹線へ急ぐ。博多駅は人がいっぱい。すごい活気だ。

そして時速300km、あっというまに広島駅。がら〜んとして寂しいこと。

というわけで長崎の3日間を楽しんだが、そのまとめと記録に3日間かかった。