幸福感

振り返れば、俺が望んだものは素朴な幸福であって、金銭や名声、地位を考えたことは全く無かった。

「望めよ、さらば与えられん」という聖書の一説だったか常套句がある。

かなり運にも左右されるが、なるほどと思える。

客観的な評価ではなく自分が判定することだから、願わなかったことは視野に入らない、ということでもある。

ただ「望む」といっても強く意識した達成目標ではなくて、本音を辿ればそうだったみたいな、さりげない心の在りかである。

「与えられた星に従って無理せずその人らしく生きた」かどうか。

50歳になってからかな、そんなことが言えるようになったのは。

若い時は無理な願望に取り憑かれる。まず、アメリカ人になりたかった。白人の。そして、あと10cm身長を、せめて5cmと強く願ったものだ。それはそれで仕方ないことだが、いつから自己実現という言葉が出てきたのか?人生設計とか「成りたい自分」とか。

教育現場でもそんな言葉が使われる。アメリカナイズされた社会では「夢の実現」が必須でケセラセラではいけないのだけど、不幸を増やしているのではないか。