孫尽くし

3月28日
孫2人を連れて備後落合まで鉄道の旅をしてきた。

車中心の生活でコロナもあり、長らく鉄道の旅をしていなかった地元の孫たち。

これは教養として必須のものだと俺は思う。車窓からの眺めは教科書だ。

こういうスナップがもっと残って欲しい。下の子は来月から小学校。運賃無料のラストチャンスだった。

庄原の手前、山ノ内と言う小さな駅に止まった時、孫が七塚原パーキングエリアからこの駅を見たことがあると言った。常日頃から周囲をよく観察して記憶力も良い子だから「あゝまたか」で済ます所だけど俺の頭にはその明確なイメージが浮かんだ。40年前頃、車での帰省ではこのパーキングエリアをよく利用していた。その度に、眼下の小さな駅を眺めていた。映像的記憶が遺伝するのではないか、とふと思った。

デジャブ、既視感、夢、そのルーツがここにあるのかも。

桜が咲くのどかな田園風景を期待して列車に乗ったのだが、4年前の水害が今も生々しく残る。特に狩留家から三田にかけて今なお復旧工事中で、福島の被災地が重なり胸が痛む。自転車で何度も走ったコースのしっとりと美しい光景は蘇ることがあるのだろうか?

庄原や上川立あたりの落ち着いた田園風景には安堵する。過疎が進む地域だが、ひょっとしたら100年後、こういう所が生活の中軸になっているのかもしれない。(都市は水没してしまって)

8時間の汽車旅を終えて帰って来たら、京都の孫が誕生したと知らせが入った。

7人目である。動画で元気な鳴き声を聞いてホロリと涙。

この子も5、6年も経てば立派なアホになるのだろう。

顔を見にいかねば。