一日は長い

女房が京都へ。出産間近になった息子一家の支援だが、いっこうに産まれる気配がない。今度は前よりも長逗留になるので孫が見送りに来た。

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連休明けの雨模様のためか市内への道路は9時過ぎなのに渋滞していた。

新幹線に間に合うかどうか怪しいので西原でアストラムに。並行する高架鉄道のありがたさ。大きなスーツケースがあるから移動の下調べはきっちりしておいた。

さらに大きなスーツケースもあるが、パスポート同様にもう使う事は無いかもしれない。2年続くコロナにウクライナ。世界中のほとんどの人が何らかの影響を受けているけれど、「人生が狂った」人はとても多い。

ライフデザインとは変な言葉だと感じていたけど、やはりね。数年前には観光ビジネスだ、ブライダルだと奇妙な学科が作られていた。まさかの逆転負けとなった今、どうしてるのかな?

 

それはともかくも、近頃、長く座っていると立ち上がるとき痛みが走る。変形性股関節症に違いない。運動には全く支障ないのでありがたいし、座らずに立っておれば問題ないが、座職という言葉があるほどに座り込む作業は多い。足裏の痺れはこれが原因なのかも。車のアクセル操作に時々不安を感じる。困ったものだが、加齢とともにこのような不具合が増えていく。

対策としては筋力の維持しかないようだから運動を欠かさぬようにしている。

先日も広域公園でしっかり運動。

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陸上トラックの周囲にコブシが咲き始めている。先日から綿毛の大きな蕾が目を引いていた。コブシとモクレンの相違について毎年、女房に聞いているけれど覚えられない。

「覚える気が無いのだ」と言われるがその通りだ。見分けられないほどのものに異なった名前をつける必要があるのか?

そのように考える俺も以前に「色は8色もあれば十分じゃないですか」と言われて驚いたことがある。情報機器関連の社員からだった。当時コンピュータの発色数が16色になろうとしていた。俺がパソコンを触り始めた頃だから1990年代か。あれから512色、4096色と進化して、今では1677万色。隔世の感あり。でも8色ぐらいしか意識していない人は少なくないはずだ。

感受性は能力や善悪でなく、文化・コミュニケーションに関わる。鋭ければ良いものではなく、どちらかというと少し鈍いほうが生き易い。

 

今日もつまらないことばかり書いている。

ラジオで或る作家が「考えるために書いている」と言っていた。書かなければ考えないということだ。でも「考えること」って、それほど良いことではない。「よく、考えなさい!」という説教の決まり文句は近代のものだ。それ以前は「あまり考えずに経典に従いなさい」と助言されていた。

古代の人はよく考えた。宇宙の起源から人生の諸相まで沈思黙想、幾つもの思想が誕生した。そのどれもが色褪せていなくて今も教えは生きている。

富や豊かさをこれほど大衆的に肯定した時代は無かったから、いろんな綻びが出ている。

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卒業式のシーズンだ。短大時代に生演奏で流れていた「G線上のアリア」。いろんなピアノバージョンがある。どれも予想以上に難しい。

昨日から映画を立て続けに観る。「鉄の女サッチャー」「アリスのままで」「グランド・ブダペスト・ホテル

いろいろ書いた。たまにはこんな日々も良いだろう。