普通再考

普通って何かな?と再々考える。
平均値のように実態のない抽象的な観念なのだろうけど
実在するかのように思って「普通」を判断の基準にする。
そんなことが少なくない。
俺は自分をかなり普通だと思っているが、女房はそうは感じていない。
「普通の人はこうするけど」とよく言われる。議論に持ち込みたいが女房は嫌がる。
それ以前に、どうして俺に「普通」を求めるのか理解に苦しむ。
と言いながら俺も女房に普通を求めている。
だから一緒になったし、ここまでやってこれたのだろう。
まあ、あまり考えない方が良いことが多い。
特に夫婦関係は。
「どうして一緒に居るんだろう?」とか「本当に愛しているんだろうか?」とか考え始めたら、崩壊へと一直線だ。
アメリカ映画でよくあるシーンだが「あの人は今朝、愛してるって言わなかったわ?」と奥さんが訝しそうな表情を浮かべる。あれでは離婚が増えるはずだ。

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ミニ箱庭の制作進行中だが、そこで余った紙粘土で家のようなものを作ってる。時間はたっぷりあるから、こういう脱線や寄り道をいくらでもできる、と思ってるとあっという間に一日は過ぎていく。
瞬時に過ぎる一日を実感できる余裕、あるいは暇があるということかも。