絵を掛け替える

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古い絵を整理している。処分といったほうがいいかもしれない。
写真に撮り、つまらないものは木枠から外す。
キャンバスを丸めるとボロボロと絵の具が剥落する。もう元には戻らない。あとは燃やすだけ。
調子に乗って作業していて、女房が描いた遥かな昔の俺の肖像も外してしまった。
これは残しておきたいから保護用ワニスをかけ、トリミングして版画用の額縁に納めた。
ガラスが入ったので反射で見にくくなったけど、厚みも薄くなってコンパクトになった。
これぐらいの大きさなら残っていけそうだ。
元の形で保存するべきだったかもしれないが、迷惑がられて打ち捨てられるに違いない。
絵のサイズって何なのだろう?
現代人にとっての適正なサイズはどれくらいかな?
100号のキャンバスを片付けながら考えた。
「展覧会に出すのなら、これぐらいの大きさがなくっては・・・」と応募規定の上限サイズで描く。
入選したいと考えるその時点で「絵を描く」という根本的なところを見なくなっているのだ。
手のひらサイズと1幅10mの大作が同等に評価されなければいけないのに。

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これがホリオミツルだと言って誰が信じるだろう?
25歳の頃、バイトで教えていた絵画教室でモデルをした時に女房が描いた。
「なんだ、そういうきっかけか」と思われるでしょうね。そう、よくある話です。
理想化されていると思われるかもしれないが、かなり当時の面影が表されている。

失ったものは黒々とした髪の毛だけではない。
週末をテニスコートで無駄に走り回って、家で酔っ払っている高齢者。
玄関で今の姿をガラス面に重ねながら自問自答が続く。

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同じく、その絵画教室で女房が描いた俺の妹(19歳ぐらいか)。
兄妹と言われたことは一度もないほど似ていない。(後年、娘と言われた。)
総長の秘書(ヤクザじゃなくって大学の)をしていた頃、華々しい争奪戦があったほどの器量良し。
(俺に似ていないから?)

整理を進めながら(やっと今頃になって)気づいたことだが、「普通の絵」なら俺よりも女房の方がはるかに上手だ。長い間、その普通に関わったことは人生最大の失敗だったな。
まあ、普通じゃないなと皆んなは気づいていて、そこに価値を感じてくれたのだろうけど。