自分の居場所

予報よりも遅かったが雨。昨日はずっと屋外で過ごしていたし、鉄棒に挑戦した後遺症で全身バキバキだったから、今日は在宅と決めていた。

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仕事場にして音楽、図画工作、情報などの教室。休憩と娯楽と妄想の部屋でもある。

それにしても、アッという間に一日が過ぎる。

「たっぷり自分の時間があるでしょう。」とか「暇を持て余しているんじゃないですか」と尋ねられるけど、とんでもない。

朝昼晩と3回食事をしたことは確かだ。すぐに食事の時間になる。

他に何をしたのか?

ピアノの後、女房が買い物に出たのでバイオリンを練習。

紙粘土で古代遺跡のミニチュアを作ろうと粘土の薄板を伸ばして乾かした。

彫刻の解説本(英語版の数奇を凝らした珍本)を読み、花崗岩玄武岩について調べた。映画「アラビアのロレンス」を1時間見て後は録画。雨が上がった合間に家の前でラケットの素振り。フォア、バック、サーブで体をほぐす。カルスト地形をネットで見て、ベースを弾いて・・・・・・

こうして列挙してみると勤務の時よりも多くのことをしている。

それなのに何もしていないように感じるのは何故だろう?

・職場に往復するだけで何か仕事をしたような気分になっていた。

・10人から100人の様々な人を相手に自分を演じていた環境の変化

などなど、考えられる。

もちろん感染症による閉塞感も加味しなければならないだろう。

昨日、所用があって元の職場を訪れたが休校中で閑散としており、教職員の二人と会話しただけ。実習室もよそよそしく感じられた。

いま、「場」を失っている人はとても多い。

自覚しないままで、またトレンドの先端に居るのかもしれないな。