濃緑の闇

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自転車通勤では安川沿いの堤防を走るが、真夏の日差しを避けて祇園新道の並木道を通ることもある。

その時、いつも安川との交差手前にある廃園の重厚な濃緑の茂みに心惹かれているので、今日こそはその写真を撮ろうと思っていたら、ばっさりと伐採されていた。

その記憶のためにスケッチを描いておく。

 

区民センター近くの素敵な河川敷は整備して公園化されるだろうと期待していたのに、先日、ここもすべてが刈り取られていた。

柳の下を清流が流れる美しい光景を朝夕楽しんでいたのは俺だけでは無いと思うのだが

残酷なことだ。

川は排水路では無いと、ここにも書いたことがある。

でも排水路なのだ。これも相次ぐ自然災害の対策なのだろう。

こんなことを繰り返しているから風景に厚みや深さが育たない。文化も育たない。

文化とは人々の暮らしのあり方だ、という考え方がある。

鶴見俊輔が言ってたことだけど、美術館やコンサートが文化ではない。もっとベイシックなものだという主張に若い時から共感していた。

一方で圧政や極端な貧富の差から永続的な文化が生み出されたという事実もあるけれど、毎日を暮らす場に落ち着きと安らぎ、そして美しさがあってこそ「高級文化」の意義もある。

古い街に移り住みたくもなるが、それはそれで問題も多い。草枕の冒頭みたいになってきたな。