考えたこと

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寒くなるという予報なので、セーター、手袋、靴下、帽子を厚手のものに換えて自転車出勤。
さほどではなかったが、これからなのだろう。
澄み切った空気で白木山が明確に見えた。
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山中を走る高圧電線の鉄塔が眼につく。
日本中を覆っている送電網を思い浮かべる。
排水路に貶められている川を見るような気分だ。

朝夕に職場の同僚ふたりと話す機会があり、制作展の進行状況を尋ねると、揃って無気力な学生への嘆き節で、気合いが入らないとのこと。
そうか、俺だけではなかったんだな。終わりの始まりに直面しているのか?

終わっているのは自分自身ではないか?とも思う。終わった、終わったと叫ぶのも無益だろう。
でも、何が終わろうとしているのかを明らかにしないと、これからが見えない。
美術が蔑視されているように感じるけれど、そういう特殊で狭い領域の例外的な現象ではなくて、社会全体の大きな変化の現れの一面なのだろう。

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帰り道、ペダルを漕いでると金星が輝き始めた。
この春で勤務して40年になる。結婚40周年でもあるから、春にはのんびり何処かへと思っていたけど、学科50周年の記念展などもあり,ドタバタと過ぎて行きそうだ。
未来が開けるならお祝いになるが、弔いの場にならないだろうか、と心配だ。

子どもや孫を見ていると確実に時代は移り変わっている。
学校という仕組みや表現するという行為も当然に変化しなければならないのだが・・・・・
新世代への柔軟な移行。
オジイさんの発想だけど、それが要るんだよな。
ちょっとアルコールを入れながら、そんな事を考えた。