近所の孫が通う保育園の運動会が小学校であった。
4歳になったといってもまだ年少組で、ただ立っているだけのような参加なので、「ああ、そうか。まだこんなに小さかったんだ。」と認識を修正する。
いまどきの父兄の姿、行動も面白く見せてもらったが、パパが仕事で来られなかったから、しっかり応援してやったり、親子ゲームの間に1歳児のケアをしてやったりとジジババはけっこう忙しかった。
このグラウンドで何度、運動会を見たことだろう?と30年近くも前のことを思い出そうとするが、こういうところで目立つ子供達ではなかったな。
帰宅してタブレットを見たら東京からも運動会の映像が届いていた。
なんと1歳児がゲームに参加している。こちらはまだ立てないのに。
あちこちで今日は運動会が開かれていたようだ。
誕生日や七五三、運動会や発表会と孫に付き合っていたら大変だ、という話を聞くことが、(特にテニスコートでは)多い。
結構なことだが、俗の極みと言えないこともない。もっと大事な自分の人生があるでしょう?という声も聞こえる。
将来、孫の運動会を見たいと思う若者はまず居ないだろう。
望んだり願ったりすることと、何となくそうなってしまったこと。
何となく子孫を残してしまうことを生物は続けていて、「本当の自分を見つけたい」と思ってはいない。
以前からライフデザインという言葉が嫌いだった。俺の人生と真逆だからか。