東京観光旅行

広島では孫に会うために東京へ行くという話を、ご近所や知り合いの中で頻繁に聞く。昔、「東京だよ、おっかさん」という歌が流行していたことを思い出すが、当時は東北から東京へという流れが多くて、上野駅もしばしば歌われる所だったし、今そのヒット曲の歌詞を見るとぶっ飛ぶ。

息子は5年以上住んだ戸越から長野へ転居するので、こういう機会はラストになる。

そこで懐かしの9月(孫の誕生時に女房は1ヶ月滞在していたし、俺は毎年校務で来ていた)の訪問を決めた。格安航空の888円セールには際どく外れたので新幹線ビジネスパックにして3泊目は銀座のホテルを選ぶ。

初日は孫の昼寝に遠慮して美術館経由で。ひとりっ子ならではのご配慮。最初の子供はとても神経を使うものだが、これが3番目になると何処に行ったかも気づかない事になる。その実例を多く見て来たので理解して尊重する。

でも、おかげで写真美術館の良い展示を二つも見られた。

戸越については何度も触れている通り、落ち着いた素敵な地域だ。

商店街で買い物をして、朝は巨樹の茂る公園でラジオ体操。3年前と全く同じ。

東京 - MINIMUM+

4歳になる孫は言語能力が高くなっていて大人と対等に会話ができる。タイミングもよく内容も鋭いので先々が楽しみでもあり心配にもなる程だ。近隣に住む同年代の孫のチャラ男ぶりとは大違いだ。いろんな個性がある。

孫はいまプラレールとレゴに夢中だ。俺もこの二つは自信があるから一緒に遊び続けたが、孫は驚くようなパーツの使い方をする。Youtubeで情報収集しているそうだ。

 

アパートから徒歩10数分、戸越銀座の西端にある息子の作業場。そこそこの面積に機材と部品がいっぱい。広島の孫が傷めてしまったパーツの修理をしてもらう。

この先は武蔵小山の商店街だ。戸越よりもさらに立派で人も多くなる。

プラレールやレゴの中古パーツを格安で売る店が在り、ズシリと重いレゴパーツの塊をレゴ中毒の京都の孫に送る。今回の旅費はそこからのギフトを使わせてもらっているから、良いお返しになった。

東京駅丸の内正面。綺麗に復元工事が終わっている。立派。没個性で冷たい丸の内では貴重な存在だ。ここからハトバスに乗る。

好天の強い日差しが暑かったけどレインボーブリッジは最高だった。知っている所がほとんどだけど高い視点が新鮮。

この構図に二十数年前に家族で乗ったセーヌ川の遊覧船を思い出す。

その時はエッフェル塔にも登った。歩いて。

ずっと東京タワーに興味はなかったけど、今なら登ってもいい。もちろん徒歩で。

1時間ほどの周遊の後、品川で豪華な夕食を戴いて帰宅。かなり歩いたけど孫は付き合ってくれた。大都市の住民ほどしっかり歩くものだ。

帰りの新幹線から戸越あたりが見える。東京にも落ち着いてしみじみした暮らしがあることを体験させてくれた。それでも異常な人口の集中には不安を感じる。

近い将来に水と食料を巡って世界は争うようになる。そんな中を孫たちには強く生き抜いて欲しい。だから息子の転居は良いことだろう。

旅行の4日間はずっと雨の予報だった、が見事にハズレ。毎日1万歩以上は歩いていたけど、足のこむら返りは治まっている。心身ともにたっぷりチャージができてリフレッシュ。こうでなくっちゃな。

東京美術研修旅行

恵比寿の写真美術館

「イメージ・メイキングを分解する」という奇妙なタイトルの展示を最初に見た。

https://topmuseum.jp/upload/3/4276/ReinventingImageMakingFlyer.pdf

映像は訴求力が弱い。映画館のような装置や導入が必要なのだ。立体は小さなものでも「あれ?変なものが」とアピールしてくる。そんなことを考えた。

木本圭子のコーナー、僕より10歳ぐらい下なのかな?美大を出て、ずっとプログラミングで制作されている。始めた時期は同じくらいだが遥か彼方に。最近、もう一度プログラミングで映像を作りたいと思っていたので、いろいろ考えさせられた。

クリスタルガラスに3D刻印という技法はネットで注文できるほどポピュラーになっているものらしい。

メインの展示をしていたタマシュ ヴァリツキー。1959年生まれだから若くない。

1980年代のパソコン普及が与えた美術の変化。僕もそこに居た。

 

そして同館別室で「メメント・モリと写真」

メメントモリと言えば藤原新也であり、彼の気合のこもった文章とインド放浪の写真が展示の主軸になっていた。

僕は20歳代後半から、たくさんの写真を撮り現像、焼き付けをしていた。今もたくさんのネガを保存している。

そして写真史の教材として最高の顔ぶれが並ぶ。人間をモチーフにする強さ。

六本木の森美術館

当初、女房の好みに合わせて「アリス へんてこりんな世界」を見るつもりだったが、映像装置が壊れて展示できないとのこと。そこで

「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」へ

ヴォルフガング・ライプ《ヘーゼルナッツの花粉》

https://www.flickr.com/photos/moriartmuseum/albums/72177720301171224

出品している多くの作家の中に、ロベール・クートラスがあって、以前からこの人の作品を見てみたかった。

中世の石工のような暮らしの中で、小さな木片に錬金術的なイメージを描いて極貧の中で亡くなった。現代美術展のなかでそれを見る。

バリバリのコンセプチュアルアートとプリミティブな表現が並ぶ。もちろん素朴が僕の好みだ。

青野文昭 ユニークでわかりやすい。仙台の人だから大震災と重なる。

そしてびっくりしたのが

金崎将司 チラシをボンドで重ねて立体にしている。障害者施設で途方もない時間と集中で制作した。邪念のない表現行為に心打たれるが、総じて色彩感覚が素晴らしいのは何故だろう?と常に感じている。今回は立体の存在感、迫力に圧倒された。

日本最多の出品回数記録保持者?堀尾貞治。もう亡くなったけどいつも神戸で発表していて、関西で堀尾といえばこの人だった。作品を見るのは初めて。

多彩な展示でくたびれて屋上に上がる。

昨日、はとバスで回ったルートが眼下で確認できる。何度もきた森ビルだが屋上は初めてだ。帽子やカバンは持っていけない。

美術館にはこういう息抜き空間が必須だ。表現に付き合うのは疲れる。

 

竹橋 近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」

学生の頃、フォトリアリズムが流行していた。その頃、リヒターは独特のボカシ技法で知られていたが誰にも真似できない技術だった。

後に大学教授になってからのリヒターは乱暴な抽象に挑んだりで理解できなかった。

それがまとめてやってくるのだから是非見なければと期待していた。

細密な筆で克明に描くリアリズムなら、根気と努力で描けるが、全く線を使わない明暗だけでしかもブレてボケている。眼を近づけてみてもサラッと刷毛で描いたようだ。

形はプロジェクター投影だろうけど、絵の具を塗る手順は想像できない。

ポスターに使われた少女像は小さなものだが、これが選ばれた理由で日本におけるリヒターのポジションがわかる。抽象では観客が呼び込めない。超絶技巧が1番の売りだが、上の画像のようなボケブレでは眼を引けない。となるとこれしかない。

平日の午前から観客は多かった。

乱暴な抽象画が36億円で売買されたことも話題になった作家だ。

今回、一番惹きつけられた作品群。90歳になってから毎日一枚描いている鉛筆画。

絶妙の明暗で素晴らしい。これが見られて良かった。

休憩室からは皇居と丸の内が一望できる。水平垂直が並んで不気味だ。

この近代美術館の常設はまったく美術教科書の現物が並ぶ充実。萬鉄五郎が良い。

リヒターよりも時間をかけて見てくたくたに。

レストランは予約で満杯なので隣の毎日新聞地下の昭和な食堂街でカレー。その味も女給さんも50年のタイムスリップ。

美術鑑賞はほんとうに疲れるものだ。4日間でこれだけ見てもう飽和。皇居沿いに歩いて東京駅で酒と弁当を買い、新幹線。

小田原あたりから富士山のシルエットが拝めた。

3年前まではこの時期に出張や学生引率で再々東京に来ていたから、そんなリズムが蘇ったようだ。ちょっとの期間はハイな気分で過ごせそうだ。

あちこち痛い

針金工作は始めるとやめられない、というか制作って何でもそういうところがある。

でも、このごろ右手人差し指の第一関節あたりが痛くなってきて、どうも指先に力を入れるのが悪いみたい。

椅子に長時間座れないのは2年ほど前からだけど、この頃は床に座り込むと立ち上がれない。立って動き回れるので障害は感じないが、困ったものだ。

今週は歯茎が腫れた。ちょうど歯のメンテナンスがあったから化膿止めをもらって治まりかけている。

今週はまた、おでこのイボ、足の甲、側面のイボが気になったので、液体窒素で処置してもらった。5日経つが痛い。

いろんな疲労が溜まっていたのだろう。そんなことで今週はほとんど体を動かさなかった。

近所の孫たちが夕食を食べにやって来た。来週月曜が誕生日のNo.3を祝う。

プレゼントの箱を開け閉めして大喜びだ。やったぜ!

ハーモニカを吹いて大騒ぎ。とんでもない嬌声を撒き散らして帰っていった。

明日から東京。3年ぶりだ。毎夏コミティアに引率していた。

こんな体調だから無理はしないつもりだが、歩き回るだろうな。

誕生日の9月

9月生まれの人は多い。7人の孫のうち3人が9月生まれだ。

先日のハンズメッセもプレゼント物色が毎年の目的だった。(だから、オンラインでは困るのだ。)

子供に高価なものを与えてもロクなことは無い。(実は単純にケチなだけだが)

それで手作りのものと組み合わせて贈り物にしている。(孫たちは嬉しくないけど)

今回はハンズで買ったマットレスの梱包材でパッケージを作ってみた。

28x28x10cmぐらいでかなり大きい。

こんな工作で1日を潰すのも悪くない。4歳になる子が二人いるので、それぞれのキャラに合わせてみる。

メインはハーモニカ。京都の孫たちにも贈っているからバラ撒きだな。これにプラレールのパーツやお菓子などを入れて仕上げ。

11歳になる子には何を入れるか?これが難問だが月末までは時間がある。ゆっくり考えよう。そしてささやかでもご馳走を用意して、祝って歌わなければならない。(園児は4回もそんな機会があったりする。)

なかなか9月は大変なのだ。

迷ったらこれ

ハンズメッセの時期になった。でもチラシも入らないし店内も賑わいがない。

俺が寝ているマットレスがボロボロになったので買い換えると女房が言う。

寝具売り場でて人の勧めに従って様々なマットレスに横たわってみる。

チラとみる値札には大差があるが、寝心地の違いがわからない。壁には著名なスポーツ選手のポスターが貼られて、腰の保護や疲労回復効果を訴えている。煎餅蒲団でも2枚重ねたら快適だから、高価なマットを買う必要はないと売り場を去ろうとしたら

こんなコピーがついたマットが置かれていた。

やっぱりね、寝心地の差をわかる人なんてそんなに居るはずがない。

それにしても、うまいことをいう。こりゃあ信用できるんじゃないかと思った。

これまでもハンズの提携商品はショルダーバッグやキャリーなど使っていて満足している。それに売り出しで2割引だ。これで決まり!

 

この日の午後、S大のテニス練習会に参加したが、ボロボロ。両足の脛も攣ってくるし良いことなし。ヤメたほうがいいんじゃないかとも思えてくる。

今日のテニスは気乗りしないまま、ゲームでは使っていない練習用の軽くて細身の古いYONEXを使ってみたら、ちゃんと球が打てる。スピンがかかってコースも狙える。

嬉しや。

この3本のラケットは明確な特徴があり、その差異を常に感じる。マットレスとは違うな。

ヴィトンのCM

1週間前に新聞全面広告にレア・セドゥーが出ていた。

冷蔵庫の側面に貼り付けて毎日眺めている。

全世界での広報のために企画され、無数に撮影された画像から選び抜かれた一枚。

そこにはどんな思惑と判断があったのだろう?

レア・セドゥーは若手女優では最も主張の強い女性だ。再々、全裸になるが全く男に媚びてはいない。屈折した表情が、どんな役柄を演じても只者ではないと思わせる。

背景はモネの睡蓮だ。オランジュリー美術館かもしれない。(ここはパリに行った時には修復中で閉館していたので、空間を知らない。)

ヴィトンのバッグやベルトは目立たないように演出されていて、まず視線は女優の眼に導かれる。俺rと女房は、食卓の定位置からは120度の差でこの広告を眺めているのだが、常に自分を見つめているとしか思えない。

いわゆる八方睨みというものだが、これは表現技術ではなくて、眺めている人間の生理、心理に依るものだ。(往往にして制作者の技量に依るものだという説明がされているけども 俺の感想ではX)

 

Animation Season

広島アニメーションフェスティバルは1985年から18回、開催されたけれど、2020年に終了した。

有意義なものだったけれど、国際的なアートイベントを持続させる力が広島には無かった。文化的に東京の植民地である地方都市の悲しさだが、主催する広島市の人材不足でもある。前々からその辺りの無理を感じていたけれど、2018年、県立美術館ジブリ展が連日満員の時に、ほとんど市民参加のないアニメーション国際大会。もう限界だった。

独りでも動画が作れて個人的な想いを表現できる。

これはとても大切なことだから、そういった作品を顕彰できる場も必要だ。教育的な立場からは強く願うことだが、一方でネット動画では評論家のフィルター無しに多様な動画が飛び交って、大衆による評価が行われている。

今回の上映作品もほとんどがネットで鑑賞できた。

 

アート作品は(当然に)大人向けの内容が含まれるから、以前にはアニメ=子供と短絡した子連れ観客とのトラブルも起こっていたな。(今回は上映前に告知されるように改善されていた。)

寒々するほどの冷房が効いた会場で長時間座っているから居眠りばかり。後からネットで見直したりして何をしていることやら。

大友良英が音楽を担当した「犬王」上映前に、その大友がゲストでライブ演奏をするというので、この時だけは前の席に座った。毎週のジャズ番組を聴き続けているし、息子もいろいろ世話になっている方である。

薩摩琵琶の後藤浩幸とのセッション。琵琶のド迫力を盛り上げるギターサウンド

その後は狂騒応援上映ということで大型ペンライトを両手に持った若者集団が前席に陣取って、いくつかの山場で立ち上がり、腕を振り足元を蹴る。でも声は出さず自分の立ち位置から動かない。狂騒とは程遠い行儀良さ。

どんなことになるのか?と案じていたのに拍子抜け。これではいかん。もっと暴れなさいと言いたくなる。

ビンを投げたり火をつけたりが普通だった我々世代とは大きく違っている。

 

音響はどれも優れていて、映像よりも優っていたり、映像のための動画であったり、「ヴィジュアル・ミュージック」と題された講演は面白かった。

チャーリー・バワーズ特集。映画創世記の異才が最近になって日の目を見ている。

デジタル化のおかげで、かすかに文書記録が残っている映像が実際に見られる。

これには神戸のバンドがライブで音楽をつけた。ベースの音に痺れる。

こんな調子でずいぶんたくさんの作品を見た。