立ち止まろう

朝、ベッドの中で天気予報を見ると安佐南区の最低気温はマイナス7度となっている。
これじゃカチンカチンで電車しか無いなと思いきや、道路は凍っていない。
中区の予報はマイナス1度だから、ひとやま向こうの予想値だろう。
いつもの服装で自転車に乗ったが、特に冷たいということもない。データの受け取り方は難しい。
自分の感触も同等に判断したい。
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水平に射し込む陽光に眼が眩む。空は雲一つ無い快晴だ。
自転車を選んで大正解だった。今週は3回目、身体も軽くなっている。
気持ち良く走っていると「わあ!きれいだな」という光景でも無視して通り過ぎてしまう。
「きょうは40分を切ったな」と、タイムに執着しがちだ。
立ち止まって眺めても1、2分しか変わらないのだが、それが出来なくなる。

寒くなってから小さな魔法瓶をリュックに入れて、朝は紅茶、帰りはコーヒーを飲んで休憩していて、
これがなかなかいい。
旅先では始終立ち止まっているけど、日常も立ち止まって眺めたい。
毎日の生活、人生も旅なんだから。

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美術科ではアニメーション作家の山村浩二さんを客員教授として迎えている。
きょうは山村さんによる講評会を開いて、1、2年生の作品にアドバイスをもらった。
学生が思い描いているアニメーションと、東京芸大大学院のヘッド、山村さんが関わっているアート・アニメーションでは天地の差があることはわかっているのだが、
今日、紹介された作品の一つは、フランスの抽象表現画家サイ・トゥオンブリーについてのロラン・バルトによる評論を映像化したものに、ウェーベルンの音楽を付けた60年代アートの復刻版のようなものだった。学生にとっては全くのチンプンカンプンというものだっただろう。
こういう世界が今もあることが懐かしく、驚きだった。
極端なアート志向のフランス人は好きだろうけど、今の日本では絶滅したと思っていたのだ。
それだけ俺が関わっている美術世界が芸術から遠く離れた、大衆的なものになっているのだが、ちょっと離れ過ぎたかな。