大学の未来形


今朝の新聞にアメリカの大学が授業を無料でネット配信しているという記事が載っていた。
今回の休職中にネットを使って校務や授業の打ち合わせをしていた時、これなら授業もできるから大学が不要になるかもしれないと怖くなった。当初はskypeを使った卒制指導も考えていたが、休養にならないので、それも見送った。
その時に想像していた可能性が実現されている。
俺は仕事を失うかもしれないと懸念したが、彼らの目的は才能の獲得だ。それも天才を発見しようとしている。
天才は生まれ育ちに関わりなく唐突に出現することを、ラマ教の後継者探しの映像で見たことがある。レオナルドみたいな天才を大学に引っ張って来れれば、凄い成果が期待できるだろう。
ちょっと怖いような気もするが。
突出した才能を育てるより、みんなで一段レベルを上げる方を望む民族性からは生まれにくい発想だ。ネットでは不可能なこともあるから大学に取って代わる事は無いだろうが、かなりのことができるのも事実だ。しかも、何時でも何処ででも無料で、ということになれば革命的な変化になるだろう。

そんな世界の心配をした後は自分の心配。
明日はどんな審判が下されるかわからないから、展示の段取りや実習室の整備など最低限のことを済ませておいた。
今夜は早く眠ろう。