見えるもの、見えないもの


家の近所から、昨日は広域公園を1時間、今日は火山の尾根まで往復80分と毎日、少しずつ散歩の距離を伸ばして回復感をつかもうとしている。
いくらでも遅く歩くことができるから調整には最適だ。

杉林の道を下っている時、枯葉から覗く緑がとても鮮やかに感じられた。苔むした石から伸びた若木が、これまで見たことがないほど深く、くっきりと緑だった。
自分の体調がそう思わせるのか、或いは山道で滑らないように、ひたすら足元を見て歩き続けるから、茶褐色の地面の補色作用かな?と考える。
でも落葉樹林に出ると緑がボンヤリしてきた。植生は変化していないので自分の感覚が鈍磨したのか、などと思いながら歩みを進めて、ふと周囲が明るくなっていることを意識した。
そうだ、空が反射して白っぽく見えているのだ。
光沢のある植物を写真にとって見ると「 こんなものじゃなかったのになあ」という結果に失望させられることが多い。
反対に偏光レンズの眼鏡で風景を見た時にハッとしたりするのも反射光がカットされるからだ。
今さらどうこう言う問題でもないけど、印象派以前、写真術以前と言ってもいいが、こういう反射光が描かれたことはない。
僕も濃緑の葉に水色の反射光を塗ることはない。
おそらく写真術以前の人々の目には意識されず映ってなかったのだろう。
という事は、これから先に我々に見えていないものが見えてくる可能性もあるということだ。
一方で、昔の人には見えていたものが見えなくなっているのかもしれない。
昼でも薄暗い杉林では濃緑が映り込んでいたのだろう。今度はカメラで確かめてみよう。
カメラで確かめてみる?
何か間違ってないかな。