記憶の京都7

家から10分少々歩くと東寺がある。
今では国宝が最も多い寺として参拝客が絶えることがないが、昔は荒れ果て、荒涼とした雰囲気の寺だった。
その頃は東寺だけでなく、ほとんどの寺がそんな状態だったはずだ。
一番近かった西本願寺は強い講組織に支えられていたからシャンとしていた。つまり近所の悪ガキどもが気ままに遊べる場所ではなかったということだ。
一方、東寺は
 
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干涸らびた池が子供達のワイルドな自転車遊び場になり、いつも土埃が舞っている褐色の世界だった。
金堂や講堂の深い軒先は涼しい日陰になるので格好の休憩所になる。
ここへお祖母さんに連れられて、孫五人が一日を過ごしたことがあった。当時、衛生掃除という一斉清掃日があって、居場所のない子供達を隔離したのだった。
退屈という言葉はいつもあのときのだるい感じを思い起こさせる。

もっと後のことになるが、東寺で遊んでいた近所の子供達、兄貴や隣のYちゃんや、6,7人が家に帰ろうとしていた、ある夕方のことだ。
太子堂から社務所へ、自転車の荷台に賽銭箱を載せて運んでいた坊さんが我々の前でひっくり返った。
すぐさま転がった賽銭箱から飛び散った小銭を、みんなで拾い集めて箱の中に戻してあげた・・・・

帰り道、山門を出て帰る途中でみんながポケットから小銭を出して見せあっている。何と全員が幾らかの小銭を拝借していたのだ。
取っていないのは自分だけ。
その時、バカにしたような視線を浴びて、再度こんなチャンスがあったら絶対に何枚かポケットに入れてやろうと誓ったのだが
あれから五十年、そのような機会には未だ遭遇できないでいる。