雑然

先日、元同僚と近隣の山を歩いた。

彼は色々と思うところがあったようで、近況や元職場の様子、読書の感想など、たっぷりと話した。

退職から3年が経って毎日の過ぎ去る早さや、老化を感じることは同感の至りであるが、胸焼けの検査で胃カメラを呑み、胃の上部が緩んで胃酸が食道に登っているという診断が、自分と全く同じだったことには驚かされた。

ちょうど一年前にも洗面所の水漏れで全く同じことが起こっていたことを思い出す。

自分だけが特別ということは少なくて、似たような境遇に在る人には同じようなことが起こる。時の流れ、波のうねりのままに運ばれ移ろっているのだ。

元の職場が苦境にあることは気になる。何度も「もうダメだろう」と言われながらも続いてきたから、すぐにとはならないだろうけど。

「世界は終わる。世界は終わる。ドスンと終わらずヘナヘナと」そんな詩があった。

いま俺の部屋はすごく散らかっている。机の上だけでもこの絵のような状態だ。

引き出しは閉めないし、本棚の隙間には何かを置いておくし、あれやこれやを同時にやろうとするから、こんな風になってしまう。

デザイナーの仕事場がインテリア雑誌に載っていたりする。見事に片付いていて信じられないほどだが、近隣の息子の家も常に整理整頓されていて、そういう人も少なからず居るのだ。

一方でこんな俺でもビックリするほど散らかし放題、混乱の極みという空間に暮らす人もいるから、好きなように暮らせば良いのだが、整然と片付いた空間への憧れが捨て去れないところに俺の煮え切らない、中途半端な、限界があるのだろう。

「大都会隠居術」という本を読んでいる。

気ままに雑然とした世界に遊んだ人がどっさり紹介されていて面白い。