平和推進

今日もまたデスクワークに終始して家の周囲から出なかった。とはいえ孫襲来の金曜日で、しかも3番目の誕生祝いもしたから、ドタバタではあった。

何かバースデイカードをと言われて、こんなポップアップを作る。孫はパンツにしか反応しなかった。甲斐なし。

自宅、母型の家に続く今月3回目の誕生祝いで慣れたものだ。もう一度、保育園で誕生会をやるから過剰である。

大きな紙袋いっぱいのプレゼントを持って「軽いな」とか「こんなんいらん」とか憎まれ口を叩く。そんな反応に一喜一憂する女房。バシッとしばいたったらええのに。

 

話題は一変するが、広島の展示での広報で「平和推進と文化振興を図ることを目的としたもの」にそったコメントを求められた。 
「芸術発表ですからそんなのあたりまえじゃないかと思いますが、狙いが理解できないので参考に他の例を教えていただけますか?」と返す。

結局「ヒロシマから発信する」の文言を提案して、すんなり落ち着いたけれど、こういう行政のスタンスが随分と広島をダメにしている。ヒロシマという屈辱的な表記は大嫌いなのだが・・・・

二日前の朝日で安東 量子のコラムを読んで感じたことが重なる。「被爆都市という実態以外に頼るべきものをほとんど持っていなかった」という記述。これには大いに賛同するが、さらに「なにもなかった」状態の肯定と賛美がユニーク。広島出身で広島を離れた人ならではの視点だ。この人は福島在住で広島=被爆と福島=原発を重ねて発言している。女房はこの逆の歪みを感じているだろう。

それにしても、この世界情勢で「平和推進」を語るなんて誰にもできないことなのに。

交通標語じゃないんだよ。