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ギター弦を張り替えた。何年ぶりだろう?と検索すると2年前だった。思ったほど昔じゃないな。最近はバイオリンやピアノはあまり触っていない。わりと絵の具を触っていることもあるが、やっぱりギターかな。それとベースに気持ちが傾いてる。

降りそうで降らないから出かけようとするとパラパラ来た。部屋に戻ると明るくなってきたのでカメラを持って出ると保存メディアがいっぱいですと来た。ハードディスクに移し替えて整理など。

そうこうしている内に霧雨。仕方ないから家の前で筆ペンの比較をしながら草を描く。

呉竹とペンテルがたくさん出しているが、どれも筆先がとても良くできている。

これじゃ普通の筆が売れなくなってるのじゃないか?

でも俺が墨書で使っているのは面相と水彩筆だ。持ってないんだ書道の小筆。

油絵や水彩用に軽く100本以上は在るのに意識もせず、適当に使っていた。

一本ぐらい書道筆を買ってみよう。

大友良英のジャズ番組で再々かかるThe Comet is Comingの演奏には痺れる。

電気処理された野生が充満していて、これからのアートはこれだ!と方向が見える。

いま作り続けている色カードは編集して動画にするつもりだが、このサウンドを目標にしたいな。

 

今日は加古里子の「ならの大仏さま」を読んだ。すごく新鮮な視点とデータに驚いたが、この人は工学博士で理系の人だったんだ。多くの著書は子供達に科学的な視点を伝えようとする啓発的な狙いがあったのだ。

その後書きで、原爆投下の候補地4箇所のひとつが京都で、目標ポイントは梅小路だったとあって、ここに落ちていたら直近の母は即死していただろう。

当然に俺という存在も無かったわけだが、なんか奇妙な感じになる。

広島・長崎には実際に投下されたし、降伏しなければ京都にも落ちていただろう。それらの都市が空襲に遭ってないのは、実験候補として温存されていたからか。

ウクライナも危ういぞ。「アメリカだって落としたじゃないか」と言いかねない。

造っては壊す人類史が終わってしまうとしても。