落葉して白っぽい枝だけになった樹々を車窓から眺めていた。とても美しい。
地味で緑の浅い山陽沿線の山々は、これまで美しいと感じたことがなかった。
何十回と眺めた風景だけど、そこに住んでいて、通り過ぎる電車を眺めている人はどのように感じているのだろう?
尾道から糸崎への車窓から、山際の農地で働く老夫婦が見えた。爺さんは座ってこちらを見ている。(左上)
彼らの背後から見た風景を想像してみる。車窓からは瀬戸内海を行く船が見えるから、快い光景が広がっているだろう。(右下)
一日の終わりを満足げに受け止めているようだと勝手に想像する。
入野あたりの小川で羽を乾かしている鵜が見えた。こんなところで魚が取れるのかな?
あの鵜はどんな生涯を送るのだろう。あの鵜にとって宇宙とは?
ホモ・サピエンスはまだ30万年の歴史しかない。文明化してからもまだ5000年足らずだ。その間、戦争ばかりしてきた。それでも「国破れて山河あり」と継続はしてきた。
それがコロナに続くウクライナ。どうなるのか。
毎日ダラダラと過ごして、最低限必要な欲求だけで生きている。それが正しい在り方ではないか。掃除、洗濯、料理の中で無について思索する禅坊主とか。
改革、発展、創造が善とされるのは近代以降だ。
そんな事を旧友とのビデオ通話で夜遅くまで話した。