この店を選んだのはプリウスを見に行った時の担当者の対応だった。
自転車で回っていた時にマツダやホンダの店は貧乏人を見下すような態度だったのに
この店はトランクを拡げて畳んだ自転車を格納してくれた。
この人はすぐに店長になってあちこちの店を回った後、転職されたが、バランスのとれた人で女房のお気に入りだった。
点検を待つ間に向かい側に渡り、太田川沿いの公園でスケッチ。
いつもの筆ペンが無く、プラマンというペンで描く。
近くの保育園から園児が2組お散歩で通り過ぎる。ひとことふたこと言葉を交わす。
この公園を奥に進むと川土手に出る。この道を30年自転車で通勤していたのだ。
向かい側は元職場。「へえ〜」見え方が全然違う。
能天気に「我を忘れて」過ごしていた日々、幸福だったけどアーチストなら絶対に我を忘れなかっただろう。いつでも「我」が最優先、それも窮屈そうだが生まれついての性格に依るところが多い。俺はそれほどのエゴイストではない。
なんてことを考えていたのだが、構図としては「元の職場を遠くから眺めて追憶に浸る退職老人」である。
俺はどんな顔をして立っているんだろう?と自分を撮る。
イメージしていた自分ではない。いろいろあるけど眉毛が薄すぎるな。
まあ、ともかくも仕事は楽しかったからいいや。
午後、90分ほど近くのコートでテニスの練習をする。決して下手にはなっていない。それだけが救いだ。
夕方は女房が作った肉まんを息子のところへ自転車で持って行く。
帰宅する小学生の集団、ほとんど顔見知りだ。
隣のヒノちゃんにヤッホーと手を挙げたら別の女の子(孫と同級生)がハイタッチしてきた。下手なことはできない。俺は今や肩書きのない「堀尾(瑛太)のジイちゃん」なのだ。
ということで肉まんを届けたら「ジイちゃん」と俺を呼ぶ3人の孫がいて、完璧にジイちゃんになった俺は帰り道のフレスタでビールを買い、夕食前には出来上がっていた。夕暮れになっても我が家の周囲には遊びまわる子供達の声が響いている。
「うるさい!」と怒鳴ってもいいぐらいだ。
そう、奇跡的な条件の重なりでベビーブームのような状況を体験しているのだ。
とことんラッキーな人間だな。