2回、大学から雑物を運び込み、幾つかのものを処分して、ほぼ片付けは終わったと言える状態になった。予定通りである。
月末までは退職の確認と告知の作業になる。
このBLOGは公開可能な備忘録として続けているが、BLOG開始以前の日々も同じ形で残したたくなって、まずは画像の整理をしてみた。
少し前まで保存といえばCDRのディスクだった。
しかし今、自宅のパソコン3台に、そのドライブは装備されていない。
外付けの機材で読み込めるのでフォーマットを変えて保存し直す。
デジタル化が進んだ21世紀からの20年間は幸いにも平穏無事な毎日だが、何の深化も成長もない。こういう日々を振り返って意味があるのか?
歴史の醍醐味であるif、もしあの時に別の道を選んでおけば、という選択肢は極めて少なかった。それが俺の幸運だったとも言える。もともと自制心は皆無に等しい人間だ。
振り返って意味があるとすれば老化の自覚だろう。
不老不死は種の継承でしか実現できない。現状ではこうなっている。
それが確認できる20年間だった。
子供が成長して落ち着き、孫が生まれたことを大層に言ってみた。
長年、我が家の押入れで眠っていた古い木桶。直径は55cmもあって重厚な作りだ。
母から託されたもので裏書きに「京都 中央市場 西久」とある。
母の父方は京都中央市場の株を持つ大きな八百屋だった。
放蕩の末、全てを手放して一家は苦難の時を過ごしたのだが、この木桶の裏に書かれた「西久」の屋号に往年の良き思い出とプライドを蘇らせていたようだ。
でも、使い道がなく死蔵していたのでは、物の命が生かされない。
ふと思いついたのが、元同僚で近隣の山里に住む染織作家のTさん。この木桶にスカーフなどを展示したら素敵だろうと、声をかけたら喜んでもらってくれた。
さて、これからは退職のご挨拶や手続きとなる。あと2週間、そう暇ではない。