18切符で京都へ

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また京都へ。
今度は18切符JR各停の旅だ。
時間軸に沿って行動を記録してみよう。今回は長いぞ。

行きは、大町から糸崎、岡山、相生、姫路下車。在住の卒業生M.T.さんと30年ぶりの感激再会で、ルドン展鑑賞、彼女の「怖い」という感想に驚かされる。姫路城散策、観光客はまず訪れない北側のモミジ並木や堀割など案内していただき、爽快な気分に浸る。
 次に加古川下車、鶴林寺へ。駅から15分とあったが早足でも30分近く、大汗。単調な風景の中にあって寺は渋く、優れもの。仏も良いが収蔵庫のお姐さんが観音様みたい。
 日没の京都に到着。
2日目
早朝の散歩で東寺へ、御影堂の開門を待つ人の中で我々夫婦は最年少。50年前には荒野だった境内には蓮が咲いている。
大宮通りのJR跨線橋下の倉庫を見て珍しく「絵に描きたい」と感じた。キリコの風景画、ピラネージの版画、廃墟、迷路など、俺の好みがこのあたりで形成されたのだな。
克明な写真資料を揃えれば3次元でこの空間を再構成保存できる。個人的な記憶をそんな形で残すのは寂しいようだが、情報の保存ということでは強力な手段になるだろう。
物置に畳んであった自転車を組み立て、女房はママチャリ。新町通りを北上し御池を東進。これはいつもどおりだが柳の馬場で左に折れてロシア正教会に。なかば打ち捨てられたようで近隣の駐車場になっている。
京都はちょうど地蔵盆であちこちの町内にしつらえられたスペースで子供たちが遊んでいたが、たいていは大人のほうが多くて活気が無い。いまでも尼さんの読経を聞きながら大きな数珠の輪を子供たちが輪になって回すという行事が行われている町内があるのだろうか?
いつものように北白川の友人宅へ。鱒寿司を頂きながら世間の事象をぼろくそに切り捨てる。自転車を連ねて京都大学博物館へ。いきなりショップでお買物。「マンモスの毛」が1600円。アンモナイトや昆虫の化石は目で確かめられるが、これは実に説得力が無いものだ。もちろん買いません。
展示は良い。理系に興味がある子供たちならとても楽しめるだろう。宇宙の生成を立体映像で見せる展示は解説が朴訥なお兄さんで、これはまるで活動写真の弁士みたい。火星の山の高さを説明された時に、「海も無いのに何処を基準にして計るの?」と突っ込みをいれたら返答に窮していた。ごめんなさい。
古地図の展示会場には巨体の白人が一杯だったが、翌日の京都新聞で国際地理学会のアジア初の開催と知る。なるほど、ドイツ語があちこちから聞こえた。フンボルトという巨匠がいたから、この世界ではドイツ人が大きな顔をしているのだろう。俺の父も、俺の息子も、そして勿論俺自身も地図が大好きだ。江戸の古地図に実家の八百屋町が記載されている。少なくとも400年前からあったということだが、それが嬉しく感じられる。ルーツが明確ということは人を安心させるのだろうね。
夕食は富士登山から大きなリュックを背負って帰った次男も加わって久々のスキヤキ。
3日目
今回の帰郷の目的は表の間の脇窓の修復だった。我が家は標準的なモデュールから外れたパーツで出来ているので、いざ修理となると法外な価格となる。前回に修理した裏木戸は60万円の見積もりが材料費3000円だったので、今回の見積もり7万円も疑問だった。
小さな窓だが、これはやってみると裏木戸よりも工作が難しくて作業手順も複雑だった。女房が塗装してくれたので5時間で完成。材料費は1500円ほどだった。
午後が空いたので二人自転車でまっすぐ北上。つまり猪熊通りに沿っての移動である。
堀川北大路、紫式部墓所から鞍馬口を西進。銭湯改造レストランやら本物の銭湯、船岡温泉など、京都の曲がり道はおもしろい所が多い。千本通りのオカキの店で一袋求め、閻魔堂へ。紫式部供養塔は盆踊りの櫓とか素朴な工作物で囲われている。あれほど洗練された文学者なのに三流に囲まれているんなんて気の毒だ。休憩中に巨大閻魔さまの前で蚊に刺される。
ここから千本を一筋入ると織機の音が響く迷路。これが半端ではない危ない迷路で、目指す釈迦堂の壁を見ながら行き止まりやらで右往左往。
一転、釈迦堂は静寂に包まれ拝観者は我々の他は1名の閑散。応仁の乱の拠点だったので焼け残った本堂は凛として美しいが脇のオタフクコレクションはナンだ?この下卑たものと洗練の同居が西陣の味わいだが、その聖俗混交の歴史も古いようだ。
宝物館の仏像は鎌倉の名作ぞろい。800年近くも前のものとは思えないほどに損傷も無い。館内は誰も居ない。セキュリティは大丈夫なのだろうな。快慶作の十大弟子像の個性表現、定慶作の観音の均整。まぎれもなく世界の一級品だ。自分の中で審美眼のスケールがずずっと上昇していくような充実感に包まれる。千手観音のように奇怪な形象を整然と、何処から見ても破綻の無いシルエットで表すという卓越した表現。海外から多くの美術品が運び込まれて作品展が開かれているが、こんなところにひっそりと物凄いものがある。心強いことだ。
ここからちょっと西へ行くと北野の天満宮。本殿の前で梅の実が天日干しで広げられ一面に快い香りが漂っていた。紙屋川を見下ろすお土居跡で休憩してオカキを食べる。すっかり秋めいて透明な空、傾いた陽光に照らされた社殿、釈迦堂で感心した後の最高のシチュエイションだった。
4日目
窓枠修理の仕上げ塗装をして帰路に着く。18切符をフルに使おうと京都から奈良線黄檗へ、万福寺参詣。女房は35年ぶりとか、俺も同じくらいだがこんなに清新なところだったか、記憶はすっかりあせていた。中国で見た寺院が甦るが、こちらがずっと宗教的。まだ僧侶が清掃作業中の朝10時前という時間帯も良かったようだ。境内に漂う空気が違う。観光客は我々二人だけ。
京都へ戻って新快速で大阪へ、環状線は鶴橋。一転してコリアタウンの雑然を楽しもうというわけだ。巨大迷路が韓国食材と衣料品で埋め尽くされている。これほど多くの店が集中して営業できるなんて不思議の極みだが、すごいです。
この後、中ノ島に移動して肥後橋のギャラリーで制作中の長男と友人のグランジョンさんの4人で昼食。英国カーディフ在住のフランス人なので以前に大学で招いて我が家にも滞在していた画家の話をしたら、なんと同じ職場でよく知っているとのこと。これにはホンマにびっくりした。
息子はしばらくカーディフにも滞在していたのだが、親子でこんな交流があるなんて世間ばかりか世界も狭いね。「R.コックスさんによろしく」と伝言。
2時半のJRに乗って延々6時間後、帰宅。弱冷車を選んだがエアコンが利き過ぎで寒かった。普通の長旅は要注意ですよ。
ということで、静かな広島に帰ってきましたが、とてもよい時間を過ごせました。まだちょっと浮いてます。