今日は特に何も無いけど

八月六日は8時15分には地区のサイレンが鳴る。日赤病院でこの時間を体験してから認識が一変した。まだまだリアルな事件なのだ。

広島の学校は登校日で平和学習が今も続いている。それに参加した孫がやってきた。

「ただいま〜」という元気な声でランドセルを降ろすとともに家に活気が漲る。

あんみつを食べながら雑談。もうすぐ10歳だから雑多な知識もあり、いわゆる大人の会話ができる。この子とは何度も京都に行った。次男一家宅にも泊まって祇園祭も体験してるし、城好きも大阪城から始まっている。

鉄道や地理の知識や興味もこういう体験から生まれているだろう。

この2年間、こういう機会が奪われている。老人の娯楽なら仕方ないが、子供たちや若い人が被るデメリットは大きい。

自分自身を振り返っても「前向きに攻める」姿勢が失われている。これまで、旅や展示に触発されて創作意欲が掻き立てられ、制作してきた。

それができなくなり、退職も重なっていきなり内向と懐旧にベクトルが変わると、実は保守的だった自分に気づく。

もちろんこんな状況で先鋭や保守を云々しても仕方ない。ささやかな日常を見直す中でこれまでの価値観を検証するべきなんだろう。

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連続の晴天だから靴を洗った。何十年ぶりかな?