廃道

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地理院地図で近隣を探索して目星をつけた林道へ。

急坂を電動自転車は汗もかかずに登っていく。郊外の山地には廃棄物処理場や資材置き場が多く、そのどれもが50年ほど以前のもので周囲を陰惨にしている。

さらに奥へ進むと車が上れるほどの道幅だが、小枝や落ち葉の上に轍や足跡もない。晴れて鳥の声が聞こえてなかったら前へ進めなかっただろう。荒れ果てている。

こういう風景を我々の世代は生み出した。あまり目につかないところだが決して狭くはない、日本中のあちこちに。整備された都心と荒んだ郊外。

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外出削減として各地の状況が数値表示され続けている。どうかと思うけど俺だっては白血球の数値データで右往左往しているのだ。

先日、友人へのメールに「数の勘定も心情やイデオロギーに左右される。反対に希望的な判断や推測が客観的な数値で覆されることもある。」と書いた。

東京の息子と話していて、彼の住む戸越銀座のテレビ映像を話題にしたら

「信号待ちで人が集まるところを待って、望遠レンズで圧縮して撮影していた。」という。数日後にはシャッターを閉めている店とか「閑散」を狙っていたそうだ。

クライアントの要望が先にあって、それに対応した映像が求められている。業界を知る息子には当然のようだが、「テレビで見た」とはそういうことなのですね。