黄昏 ちょっと一杯

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日暮れが早くなって6時半にはもう真っ暗だ。仕事帰りの空が薄暗くなっていると、一日働いたんだなと妙に安心する。昔のサラリーマンドラマでは同僚と一杯飲みに行くというのが定番で、そこは東京ならだいたい新橋とかに決まっていて、一度だけ友人に案内されてそういう世界を体験したことがあるだけで、いつも一人だ。
基本的に一人でする仕事だし「職場の人間関係」というものに煩わされることも少ない。愚痴をこぼすこともなく生きてこられたのは幸運なのだろう。
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それでも、まっすぐ家に帰る前に一息つきたいと思うことがある。とくにこの頃のように夕空がきれいな黄昏は。
そんな時、もうすぐ我が家という川岸で缶ビールを飲んだりする。そのリラックス感はなかなかのものだし、新橋あたりで群れているサラリーマンの気持ちを推測するのだが、あまりにもシチュエーションが違う。
水中の鯉や鴨の親子が微かに見えるぐらいで人影も無い。
その時、何を考えたりしているのかは思い出せないが、「こんなところで俺は何をしているのだろう?」といつも思っている。それは違和感というものではなくて、日常の流れから離れた一種の客観性というものかもしれない。
ほんの10分間ぐらいだけど、ぶらぶら歩いて帰宅したときは結構陽気になっていて夜も安眠できる。
ヨーロッパではどこにでもある、カフェやバール、パブなどはそういう場になっているのだろう。
美しい田園風景でもいいのだが
一日を肯定的に終える仕組み、これが人生の充実には欠かせないはず。それが失われていくのが気にかかる。