年表

職場の50年史を企画することになり、方眼紙に教員の在職期間を図示して、世界や身の回りの出来事を書き込んでみると・・・・・
見えてきますねえ、実にいろいろなことが。
特に団塊世代が半分も居たので、社会変化とのシンクロが多い。
昭和と平成とか、80年代、90年代とか、21世紀とか節目を如何様にも設定できることは
虹と色彩名と同様で、
言葉にするとか、認識するというのは、そんなことなのだが、漏れ落ちることも少なくない。
過去は常に美化されるが、その根には自己正当化がある。
デタラメや不正は多かった。それを民主的に質そうとして窮屈な時代になっている。
どちらがいいのか?
継続とは?こんな激しい変化の中で。
守るだけで生きていけるのは老舗の和菓子屋だけではないか。
世界という大きな波の末端で揺さぶられながら生きている。
ローマ帝国も滅んだ。生者必滅。

社史や自分史がつまらないのはご都合主義と正当化と捏造ばかりだからだ。
冷静に客観視して描いたら文学になる。或いは哲学になる。
でも、書けないよね、自分の汚点は。
「本当のこと」を言って益になることは、ほとんど無い。
懺悔は神様の前だけでするものだな。