何でも見てやろう

文章読本を読んでいたら、小田実の「何でも見てやろう」が引用されていて、また読みたくなった。
俺が高校生の時だったかな、近くのデパート(駅前の丸物の特設会場の古本一)で買った。
熟読したから内容はほとんど覚えているけれど・・・・
これが大学図書館には無かったので(これはいかんですな)
職場の歓迎会が駅前で開かれる週末に、早めにジュンク堂に行って買った。
雨の週末、一気に読む。
50年代のニューヨーク、ビートジェネレイション
人種差別、ヨーロッパとアメリ
この50年間で起こった世界の変化が予感されている。
中近東の闇の深さと絶え間ない紛争。富と貧困。欧米と日本、アジアと日本。
1日1ドルの貧乏旅行を続ける若者がメキシコではシケイロス、パリでは森有正など一流どころと対話していることや、イタリアではスカラ座でトスカを観て、フィレンツェではウッチェルロと教養の深さも備えていたことは以前に意識できなかったことだ。
旅行とはこういうものだと多くの人に、そして虚弱な俺にも影響を与えた。
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晴れ渡った日曜日、いつものようにテニスで走り回り、午後は山菜「コシアブラ」を採りに火山へ。
ツツジが満開で新緑との対比が鮮やか。
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コシアブラは山頂近くの尾根にたくさん芽吹いていた。

市内と瀬戸内海が見える。
この数十年で膨張した市街。何箇所は早くも衰退し始めている。
眼下の団地では新しい家が立ち並び、共働きの家庭には複数の車があり、麓のモールでお買い物。
消費生活。こんな暮らしの原型になったアメリカも見ておかねばならないな。