お盆

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お盆の供養をすることになって京都へ。
予報に反して(相変わらずだけど)強い雨が降るので、ご近所の西本願寺で腹ごなしの散歩。
御影堂と阿弥陀堂の広大な廊下を歩くだけでも良い運動になる。その厚い床板のあちこちにナスや傘や富士を象った補修がされていた。
それは女房が見つけたのだが、これまで全く気づかなかった。そんな話を法事のときにしていたら、妹が「そんなこと誰でも知ってることやと思てたけど。」と、さも当たり前の様子。人によって見る所が違うものだが、妹は小さいころ本願寺の日曜学校に通っていたから、そこで聞いたのかもしれない。
京都ではちょうど六道参りをやっており、「今日の夜までだよ」と在住の次男に言われて一緒に自転車で夜の六道珍皇寺へ。http://www.kyoto-wel.com/mailmag/ms0308/mm.htm
昼間はとても混雑しているが最終日の夜ということで、行列せずに鐘を撞けた。(なんと、鳴らすとき、ここのは引くのだ。)俺の動作がドジなものだったので寺の衆が助言してくれ、ついでに寺の由来などいろいろ解説してもらった。
祀ってある小野篁(おののたかむら)は、百人一首にも選ばれた歌人だが、夜には冥界で閻魔大王の裁判を手伝っていたとか、紫式部を地獄で救ったとか・・変な話ばかり。
平安の作と解説されている閻魔像は、どう見ても江戸時代だよなと息子と意見一致。
でも、千本の閻魔堂には日本最古の閻魔像があったし、あそこも墓地との境界だった。宗教には「恐ろしい神」が必要で、もっぱら不動さんがその役目を背負ってるいて、あまり閻魔さんを見かけない。需要に比べて少なすぎるのではないか。
それにしても、ここから山際が風葬の場だったなんて想像するだけで涼しくなる。
翌日、鴨川の源流を目指して北上したときに偶然、紫式部の墓という表示に出会う。
大文学者にしてはせせこましく侘しい墓所であるが、お隣には小野篁の墓が。
艶っぽ過ぎる小説を書いた咎で地獄に落とされるところを助けてもらったと言われているが・・・どういう関係だったのかいな?
加茂川土手は巨木が茂り公園として美しく整備されているが、上賀茂から北はどこにでもある田舎になる。中学校か小学校のマラソンコースだったし、大昔にバイクで走ったはずだが記憶はない。産廃施設があったり、すさんだ風景が続くが、そこを抜けて山道を登っていくと北山らしい風景になり、美しい山村に着く。その名も雲が畑、良い地名だ。
さらにそこから急坂をのぼると岩屋山志明院
本堂前に溢れる山水は3年おいても腐らないとお寺の方がお奨め。ドバドバに汗をかいていたこともあるが、ほんとうにおいしい水。
岩窟に竜神や不動さんが祀られていて、バリの洞窟寺院や投入れ堂を思い出す。さすがに加茂川の源流である。
帰りは下り坂と追い風で矢のように川沿いを下って出町柳から岡崎へ。
近代美術館の展示を見ながら、見てるだけより制作をしなければとあせる気持ちが強くなり鑑賞に身が入らず、そそくさと退散、広島へ帰ってきたが、こちらも暑いね。