左回り

エレキギターのシールドコードを修理しようとして予想外の複雑さに慌ててネット検索。しかし失敗。断線箇所を見誤ったのか、ソケットへの半田付けの失敗なのか。

部品よりも完成品が安いので買おうかなと思っていて、その前にダメ元で修理に挑戦したが敗退。でもシールドの意味がわかった。

好天なので昼食後、広域公園へ。家から5km少々。

女房以外と話すことがない俺は孤独なのかな?こんな郊外でなくてパリみたいな街中だったら、かえって孤独を感じるのだろうか。

「芸術家は孤独でなければならない」などと書いた人はたいがい街中に住んでいて、ちょっと歩いたらカフェがあって、知り合いだらけという環境に住んでいたなあ。

そんなことを考えてしまうのも、この数日、フランスの女流映画監督、アニエス・ヴァルダの若き日の作品を続けて見ていたからだ。

 

公園では、ひとり壁を相手にボールを打つ。ストローク、サーブ、ボレーと続けて45分、温まったところで次はアスレチックを少し。

いつになく疲労を感じたのでベンチに腰掛けて、スケッチなど。

前を歩いていく人を画面の中へ入れていく。

みんなが右から左へと歩いていく。一応ここはランニングコースだからトラック競技に倣っているのかな?

スケートアリーナも左回りだ。俺は右回りが滑りやすいので困った。

京都の四条通りでは通りの北側を歩く人は東へ向かうことが多く、南側は西行きだった。七条の商店街でもそうだった。人間は左側にある心臓を庇おうとして、そんな行動をとると小学校の教師から聞いたことを思い出す。

帰宅後にネットで調べたら、わんさか「左回り」の情報があった。スーパーやコンビニでは左回りの習性に合わせて商品を並べているとか。

しかし、最近の研究では右回りが効果的との説も出てきた。

邪馬台国はどこにある?」みたいな論争になると面白いな。

 

しかしですね、この歳になってこんな雑学を面白がっていて何になるのだろう?と思わないでもない。何百年もの昔から、念仏に専念して極楽浄土を祈願する日々を送る人も居たけれど、凡夫は煩悩のままに浮世を彷徨うものだったんだろう。

そういえば「人間往生図鑑」3年前に読んだな。