人類の進化

自分が考えていることについて考える。それは思考の合わせ鏡になってクラクラするような世界に入ってしまうが、哲学の出発点はそこだと読んだことがある。

俺にも哲学的な素質があるらしい、とその時に意識したのだが、哲学者、詩人、画家は食えない職業のベスト3だ。

こんな言葉が出てくる夢を見た。枕元のタブレットに指で描いた。

何か凄いことが頭に浮かんだ、とその時は思ったけど、どうなんだろう?

 

昨日、三倉岳の帰りに立ち寄った民俗資料館。ひと気がなくて閉館しているみたいだったが、80歳ぐらいの婆さんが「いらっしゃい」と言いながら慌てて館内の照明を点けて応対してくれた。

展示のなかに狩猟時代や農耕の始まりを描いた稚拙なイラストがあり、存在感を放っていたが、弥生から100年前までずっと農耕時代が続いていて、その生活遺品が館内に置かれているのを見ると、陰鬱な気分になってしまった。

今朝、ダラーっと土曜日の新聞書評欄を読み直していたら、「狩猟採集生活から農耕へと人類が進化した」という考え方は15世紀、アメリカ大陸「発見」以降に作られたものだという研究書が紹介されていた。

原住民のゆったりと自由な生き方が民衆に拡散しては危険だということだったという。

なるほどなあ、俺が資料館で感じたのもそれだ。

イラスト画では狩猟時代の活気、野生に比べて、「進化」した農耕生活が窮屈で閉塞していた。

学ぶことや考えることも、見えない縛りをたくさん受けている。