廃棄処分

友人から送られてきた新聞記事。これを読んで

写真家の藤原新也が自室から外を眺めていると道路の清掃員が路肩の雑草を刈っていて、その男が生えていた立葵を切ろうとしたので慌ててその行為を咎めたという文章を思い出した。
雑草と花の区別がつかない。俺もその辺り怪しいのでどきりとしたのだ。
建設=破壊であり、廃棄処分とは価値あるものをどんどん壊して浅薄な新製品へと消費する事だから、こんなことはもっと起こっているはずだ。
大学に残してきた資料室も心配になる。レンブラントやルオー、下村良乃介の版画とか大丈夫かなあ。

三条河原町にあった朝日会館の大壁画が記憶に残っている。画廊や映画館があったモダンなビルは解体されたがしっかり記録はされている。

次男は毎日この通りを四条から歩いて通勤している。この写真は俺が生まれた頃のものかな。手前の教会は明治村に移築されていて、20年前に次男と訪れたことがある。

船越の作品が残すこと以前に配慮もされず廃棄されていたとは。

寒々しい、そして恥ずかしい。

 

今日もテニス。夏空が素晴らしい。