本屋が必要な訳

予約した本が届いた。早速に目を通す。

ホックニーの絵画の歴史はとてもいい内容だ。画家の興味関心から世界の視覚芸術を比較しつつ話が進む。美術史研究者にはこの柔軟性がと拡がりがないので、いつも不満を感じていた。これはじっくり読みたい。「はじめての・・・」はこの本を子供向きにコンパクトにしたもので、図版はほとんど同じだが、どのように簡略にしたのかな?

大好きな女優のスチル写真集。一枚の写真から映画全体が想像できそうだ。

そして素敵な映画を作り続けるウェス・アンダーソン

これらの本は図書館の開架書棚には並んでいなくて、オーダーすると書庫から出してくれる。ぶらりと出かけて出会えるようにはなっていない。

そういうのは良くないじゃないかと大学図書館に提案したことがあるが、研究と収蔵が目的だからと拒否された。そうかなあ、教育って出会いだと思うのだけど・・・

先日このブログで「三条の文化博物館の書店は美術関係の品揃えが素晴らしい。」と書いたが、その書棚のスナップから選んだ。ありがたいですな。

買えば1万円、重くて持って帰れない大型本で家に置く場所もない。

広島にこういう提案力のある書店がないのが残念だ。

S大テニス練習会での休憩中にChat GPTへの懸念、創造性への不安などが話題になる。

大衆小説や小綺麗なイラストなどはたちまち被害を受けるだろう。コンピューターよりも安く早く作って対抗するしかない。

半世紀前までは1km四方の世界で日常生活がまかなえていた。(少なくとも俺の周りでは)今は数千kmも彼方から運ばれて来る。

多大な恩恵を受けているのだけど、異常なことだ。続くことではない。

それはともかくも、テニスの内容は良かった。この2年間でかなり上達したと思う。

絵や音楽はどうだろう? 低下、劣化したものは何かな?