雨の日の妄想

スキャナーの設定をいじくったら画像が小さくなった。こういう物とのお付き合いはもう御免こうむりたいが抜けられないだろうな。

マイナカードの不備が報じられている。新聞もテレビも興味のあることしか見ないから詳細は知らないけれど、役所の書類を見ていると、さもありなんである。あんなに分かりにくいものはない。そのままデジタル化したって意味がないし、ミスと混乱が生じるのは当然だ。

革命的な発明のほとんどは中国から生まれているが、それが変革と発展につながらなかったのは官僚制が原因していると言われている。

科挙と東大志向、似たようなものだから弊害も同様なのだろう。

雨が降り続いている。100%のステイホーム(こんな言葉、外国で通じるのか?)

ギター弦を張り替えたり絵の具で遊んでいたら、すぐに1日は過ぎる。

屋外に出られないから墨絵の練習として以前のスケッチを模写してみた。

見た目はすっきりしているが全然良くない。観光用に再現保存した所みたいだ。

都市や田舎にかかわらず、どんなところでも眺めているだけなら良い所だが暮らしてみるとけっこう煩わしい。

それが生活というものだが、テレビで紹介される田舎暮らしで、そのマイナス面は語られない。だいたいは富裕層の白人がゆったり暮らしているみたいな設定だ。

欧米人への劣等感で異種の存在が許容されるが、日本人だったらそうはいかない。

でもまあ、こんな雨の日は晴耕雨読という言葉が浮かんでくる。

読書の合間にふと目を窓の外に向けると、緑の田畑の向こうに霧立ちのぼる山々。

いいなあ。

晴耕だから晴れたら耕さなければならないけれど30坪でも維持できない体力。

つまりは、あちこち彷徨い歩いて理想の暮らしを夢見ているのが一番だという結論。

もうすぐ晩御飯だ。