まだマスク?

街に出た。平日の午後だが人出は多い。

みんなマスクをしている。閉鎖空間以外でマスクは必要無いと考えている俺は着けていない。でも、言い知れぬプレッシャーを感じる。

市内に居た90分で路上のマスク非着用は5名ほど。混み合った喫茶店内では皆がマスクを外して談笑している。形式的な繕いと、それ以上に顔を隠す快感を無意識に覚えてしまった人々。ネットの匿名空間が現実化したとも言える。

コロナ以上の危険が生まれるぞ。

 

市内のギャラリーで卒業生が展示していた。市立大学の社会人講座は専攻学生の少ない工芸版画だけで開講されている。そこそこのキャリアを持った人に限定しているようで、そういった事情の裏側が元関係者の俺にはミエミエだが、黙っておこう。

版画でも油性から水性への転換が進んでいるという。我々も健康上の理由からシンナーからリグロインに変更したのだが、そのリグロインが身体に悪いと排除されている。

灯油、ガソリンも使えないから、水性で銅版やシルクスクリーンを作っているなんて、別世界だ。シルクが流行していた美大時代の記憶やイメージは揮発性溶剤の臭いと結びついている。その臭いから逆転打を喰らって、あの頃に戻れなくなった。

「昔の女に裏切られた」時って、こんな感じかな?

薬剤による洗浄が必要無いメゾチントや木口木版に人気があるらしい。

その両者とも俺の大苦手、根気のいる精緻な仕事はできないのだ。でも、案内してくれた卒業生は、こんな俺でも数歩引くぐらいにワイルドな表現を長年続けている。校風の違いだな。今からの時代は「乱暴な」方がいいと思うけど、他の出品者はかなり精緻な作風が多かった。でもまあ、いいじゃないか楽しければ。

こういう「義理」や病院などの必要が無ければ街に来ることも少なくなっている。いろんな変化を肌で感じることは大切だな。

バイクを駐めた子ども科学館の向こうではサッカースタジアムの建設が進んでいた。

市民球場の跡地もイベント施設が作られている。サミット開催までを目指しているのかな?こういう建設の裏側で図書館などは駅前のビル内に「追いやられる」事になった。

古い卒業生がその反対活動を進めていたが、短期的な経済優先、大多数の支持が得やすいスポーツ優先で押し切られた。

「国際平和文化都市」が広島市の看板だが、無い物ねだりを並列したようなものだ。

教育施設の貧弱さは改善されないままで、土着の人から文化創造のイニシアチブを取れる人が育っていない。東京頼りで植民地状態が当然になっている。言えばキリが無いな。まあ、どうでもいいや。