緊急事態の筋違い対応

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素晴らしい好天だった。少し塗料が要るので100均に行ったらスゴい混雑、過密。

休業してるデパートの3倍の密度だろう。

そこに「潮干狩りセット」が300円で売られていた。市内の河口付近でアサリが取れるそうで、河原の駐車場も土日は開けていると市の告知にあったので、干潮になる午後遅くに出かけが車除けのガードが閉じていた。屋外スポーツ施設や閑散とした文化施設と同様に河川敷も閉め切っている。

緊急事態がさらに継続されるが商業施設は緩和されるという。プロ野球などスポーツイベントはかなりの過密で行われている。

金をかけずに制御しやすい学校や公共施設ばかりを閉じている。三密の回避という原則を打ち出したが実際は「やってます感」のアピールに終始。補償などの費用をケチって見逃したり、オリンピックに配慮していたり、無茶苦茶だ。

もう、こんなことに付き合っていられない。来月はあちこち旅行しよう。

 

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昨日たくさん運動したら今日の朝はあちこちの筋肉が痛い。軽くほぐすために散歩して、雑草を眺めていたらスマホの電話が鳴った。

旧友からの久々の連絡だ。昨年末に7回目の引越しをして、ようやく落ち着いたそうだから、家に戻ってからタブレットでビデオ通話。今度の家の内外を見せてもらう。

彼はまだ大学の非常勤もしているが、やはりリモートになって、その対応でこれまでの3倍以上の手間がかかるのに給料は同じだとボヤいていた。

俺は最近YOUTUBEでバイオリンやテニスの練習や見直しをしている。

以前に比べて解説がとてもわかりやすくなっているのは何故かな?と考えた。

若い人の制作力も向上しているけど、アクセスやフォロワーの増加がもたらすメリットに励まされている事も大きいのではないか。

教育は利潤を負うべきでないとか、生徒学生たちの生き生きした反応で満たされる聖職だとか、様々な正論が渦巻いていて語るのも嫌になる程だが、もっと単純に「良い仕事をして、喜んでもらえて、プラスアルファの収入も得られて気分がいいなあ」ということがあってもいい。人が動くのはそういうことだ。

原初の大学は、広い市場のあちこちに演台が置かれ、人々は商品を品定めするように聞いて回って、お金を払ったそうだ。教室の隅っこで居眠りしたり悪さをする人は当然に居ない。

女房は家事をしながら朗読や講演をタブレットで聞いている。俺もラジオの聞き逃し配信を利用している。コロナが無くても進行していた変化だ。もっともっと進めて、ライブの意味と意義が見直されるといいね。