アニフェス 現美

「広島アニメーションフェスティバルが再編される。」と聞いて、よくここまで続けられたものだと思った。1984年から2年おきに18回。実質は終わったということか。

前回大会の2018年、夏、同時期に県立美術館では「ジブリ展」が開かれ史上空前の入館者を集めていた。(ホールの巨大な展示装置に息子が関わっていたので鮮明に覚えている。)通常は老人天国の館内は若い子供連れで溢れ、見渡せば自分が最年長だと気づいた時はショックだった。

その時、アニフェス会場は外国人と県外からの愛好家、専門家がほとんどで周囲の街は閑散としていた。この極端な相違を目の当たりにすると、どんな大義名分も言い訳も通用しないと、その時に強く感じたのだ。

同様の印象を現代美術館に行く度に抱く。こちらは1989年の開館でこの秋からリニューアル工事で数年間も閉館される。

先端的な芸術表現を展示する場なのだから観客の多寡を問うべきではないが、それを支持する基盤が貧弱な日本において、広島は相当に保守的な土地である。

全く理解が無いと言っても良いほどだ。

だからアニフェスの幹部や現代美術館の学芸員は無知蒙昧の民衆を啓発しようとしただろう。その間に一般市民にも還元できる実績も当然に求められ続けていた。でも高潔な芸術理念を墨守する彼らには、そんなイモ臭いことは耐えがたい。

状況が変わりそうに無いと知ると、広島よりも世界を相手にと目標を変更した、というか自分の心を支えた。

40数年前、広島に来てから自分自身の中でくすぶっていたことから推測したことで実態を調査したわけでは無いが、ほぼ的を得ているのではないか。

市立大学の芸術学部にも似たような構図が在るに違いない。

しかし、そんな考え方はもう時代遅れになってしまった。

文明開化の明治ではない。

西欧への従属とも言えるほど一時代前の価値観に支配されている芸術は、これからの日本で生き永らえられないと思う。

シンプルに「おもしろい!」と感じさせるものからアートが育ってきている。

 

とは言え、一緒に育ってきた兄弟みたいな催しであり、施設である。俺の退職と同じくして閉じるのは寂しいものだ。

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この光と影は日本ではない。猛暑の午前、無謀にもテニスへ。

あまり走らず、ミートを心掛けて強打しなかったが、立ってるだけで精一杯だった。

それでも体はとても軽くなったし、治療効果は確信できる。ありがたや。

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35度の暑さの中で、コートの傍に咲くサルスベリ