最終処理場

やたらと蒸し暑いから、なんかしんどい。今日は家で大人しくしていようと、机の上を掃除しながら送られてきた冊子や美術展のパンフなど眺める。すると、幾つもの懸案事項のヒントが見つかって、それを書き留めたり小論文を手直ししていたら昼になってしまった。
きょうは山に行こうと決めていたので行く先を考えるが、芸北への抜け道にしている戸山・湯来線がダンプだらけだったので尻込み。「あれはひょっとして・・・反対看板のあった処理場かな?」と検索するとその通り。広島市の計画が詳細に公開されていた。
現在、阿武山裏にある廃棄場が数年後に満杯になるので、それからの30年間に対応するためにここを使うとのことだ。なんてこった!
阿武山に登る度に処理場からの騒音に苛立たされていたが、あれが来るなんて。
意気阻喪して方向転換、東に向かって進む途中で、狩留家から志和に抜けてみようと思い立った。
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道が険しくなったあたりの旧家は漆喰の倉庫が印象的だ。
何やらこのあたりの風景には記憶がある。30年近く前に自転車で来たことがあり、この急坂でタイヤが空回りしたので諦めて引き返したのではなかったか。
今回はバイクだからグイグイと登り切った峠の手前に「産業廃棄物最終処理場」の看板。
道路脇の狭い谷間に積み上げられたゴミを小型のブルトーザが慣らしている。
これが最終処理?
調べてみると廃プラスチック類、金属くず、ガラスくず、陶磁器くず、コンクリートくず等を処分するところで、広島市の周辺に50カ所近くもあって、そのほとんどが私企業だ。
製造業は景気の動向とかで注目されるけど見捨てられたような山奥に散在する処理場。
もっと殺伐としたところなら最終処理場も似合うだろうが、選りに選って奥深い山中を荒れ果てさせるとはなあ。こんなことになるのが落ちだからオリンピックには来てほしくなかった。
汚れを忌み嫌い、隠そうとする国民性。原発にも共通するな。