ディスクブレーキの効きが悪くなるばかりだから、昨日の夕方に自転車店に行った。
普段の整備は自分でやっているが、この新しい機構は調べてもよくわからない。
90分以上待つか、代車を借りて明日にするかとなり、代車を選んだのだけど、普通のママチャリ。懸命に漕いでも進まない。大汗をかきながら帰宅した。
ずうっと電動アシストに慣れて普通を忘れている。筋肉も弛んでいた。
修理の説明を聞くと、ディスクに錆止めの油分を使ったのが致命傷だったそうだ。
手入れや調整方法を調べても、そういう注意書きはなかった。
パッドやワイヤーも交換して安くない代金を支払ったが、確かにこれがディスクブレーキですよね、と納得できる。
職場に向かおうとして思いとどまる。きょうは担当がないし、午後遅くから再び雨になる予報だ。ぶらっとこの辺りを回ってみようか。
先日、ホタルを見に来た「せせらぎ公園」の全貌を見てやろうとグルグル回る。
高瀬堰の周辺で水害が多かったこの地区の歴史するパネルを二つ読んだ。
承応2年には水害で5000人の死者とある。調べると1653年のことだ。
その前の寛永では全国的な異常気象や飢饉が人々を苦しめている。
大正時代でも3,4年おきに水害発生か。昔から続いているんだ。
コロナ騒ぎで我々も歴史の中に生きていると感じるようになった。
先日のNHK特集、戦国武将が平和で職にあぶれて東南アジアで傭兵にの話、びっくりだったがベトナムの日本人町で抱いた疑問が解けた。
高瀬堰の上流でお弁当を食べる。強い日差しに増水した水面が光る。
仕事を止めたらこうしてブラブラするようになるのかな。
安佐北区の体育館が見える。
太田川に沿って阿武山の裏側から峠を越えるルートを選択。
40年前は広島大学馬術部の馬場があり、遊園地(その跡地?)やキリスト教の修道院(みたいなもの)があった。
それらは消えて廃棄物や資材置き場になって風景はとても荒んでいる。
道路は広くなったが日本中で都市郊外ではこのような荒廃が進んでいる。ゴミと廃棄物は年々増加しているのだから、それを扱う仕事も多くなっているのだろう。
砂利を積んだダンプがトレイルをつくって走っている。大型トラックの運転席でうつ伏せになって休んでいる男たち。
こういう殺伐の中で働く人たちは、どんな日常生活を送っているのか?
大災害の起こった阿武山の裏側も崩れていた。
かなり運動にはなったけど、心はネガティヴになってしまった。