合点がいかない?

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久々の激しい雨で、家の前の造成地がグランドキャニオンになりかけている。ミニチュアだけど大自然が見える。小さな水たまりに船の浮かぶ入り江を、草むらの小路でジャングルの鳥瞰を想像した遙かな昔の日々。
やっぱり暇でないとね。この暇な毎日も2週目を迎えた。こまめなBLOGの更新も暇なればこそ。
さてさて、
フランス映画、ルコントの「髪結いの亭主」。グラマラスな女理容師の色香に耽溺する、アラブダンスが好きな少年が長じて・・・・望みが叶い、理髪店を持って・・・・というストーリー。
超絶に色っぽいヒロインが「幸せすぎるから」という理由で運河に飛び込んでしまうのがどう考えても腑に落ちなかったのだが、またまた「マルテの手記」からだけど、前回に書いた「セーヌの身元不明の少女」について詩人のモーリス・ブランショが「幸福の絶頂で溺死した・・・・」と書いていたのですね。
20世紀初頭のフランスでは知られたイコンになっていたらしいから、フランスの観客には連想ゲーム的に受け取ることも出来たのだろうな。
何か合点がいかないなあという背後には、こういう「文化の背景」がある。
和歌だって理解するのは大変だし、女房だって理解しようとしたら・・・?
合点がいかないといえばホルベインの「大使たち」
あの頭蓋骨にはそういう裏があるに違いない。どうして誰も書かないのかな?