WEBと読書

マルテの手記を拾い読みしながら、WEBでリルケの歩いた街並みを辿ってみる。この都会を舞台にしたから、屈折した青年の内面描写が世界文学になり得たのだ。
京都や大阪の街をクタクタになるまで歩き回っていた俺は、この作品の空気を共有していた。通天閣は最初エッフェル塔をモデルにしたし、中ノ島周辺は相当にパリを意識している。御堂筋ではこの小説に出てくるような奇妙な人物をたくさん見かけたものだ。病院の描写もわかるなあ。少年時の記憶そのままだ。
パリから発散していた光の余韻は30年前までは周囲にまだ残っていた。

WEBで見ると、観光保存地区になってる旧市街にはもう彼が呼吸した空気は漂っていない。セーヌ通りの静かな銅版画店は今ではオシャレなギャラリーが並んでいるし、「人通りの少ない」と書かれたサンミッシェルは群集が溢れている。これはパリだけの事じゃなくって世界の大都市でこの100年間に起こった変化なのだろう。
パリもフィレンツェも旧市街を離れたら普通の街で、そこなら東京の方が快適そう。

「石膏店の壁にかかる溺死女のデスマスク」が気になったので検索すると、画像と共に当時、流行したことが解説されているし、読書の間ずっとスクリャービンエチュードYOUTUBEで聴いて当時の最先端を思ってみたり、こういうのも悪くないけど、結局は40年前の自分を探しているのだ。

画像はほとんど関係ありません。
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