このブログで5、6年前を振り返ると、とても活発に動いている自分が居る。
午前に登山の後、午後はロードで職場まで往復しているとか。
日常のルーティンから外れると今では職場が在った牛田までがとても遠く感じられる。11kmは普通だったのに。
土日のテニスで、全ての体力を出し尽くしたようで、午前は静かに哲学入門書を読んでいた。(なかば居眠りしながら)
原理的に答えのないものを問題にするべきではない、という主旨なのだが、宗教でも科学でも説明できない事柄に思いを致すのが哲学ではないのかな?
言語を持って思考を始めた人間の業とでもいうべきか。
午後、直近の荒谷山に登る。彼方に厳島。こうして地域に住む人々は自分たちを位置付けていた。
中心を持つことの意義。
不動院で浮かれて自撮り。姿形は100%母親似と自他共に認めているのだが
昨日の写真をよく見ると、若き日の父親に瓜二つ。これは驚きだ。