京都ー広島

ずうっと京都にいて広島なんて無かったという暮らしもできたけど、広島に戻っている。新幹線車内のWi-Fi化が進んでいて、格安こだま号で3時間近くかかる道中も雑用で過ぎる。あ、広島だ、という感じで。

広島に来たから京都の価値を評価して、細かく隅々まで見て回っているのだろう。(在住の親族はほとんど見ていない。)その視点で広島を見るから、(地域の諸々関係に煩わされず)クールに客観性を保ちながら暮らして来れた。

この二都物語を40年以上も続けていたので、どちらかを選択するのが難しい。

その必要性も感じないけど。ほとんどパラレルだ。

 

学生時代に当時の学長だった梅原猛が「京都在住の著名人は他府県からの移住者で、京都生まれの人はとても少ない。」ということを授業で言っていて、俺としては面白く無かった。でも、そうだろう。人を育てるところ、人が育つところなのだ。

これは大いに自慢して良いことで、出身県別のデータが新聞を賑わせるのは「都に出てひと旗あげよう」というキャンペーンに踊らさられているからで、全く出身地が誇ることではない。むしろ憧れと飢餓感を培養した不毛の地と自覚するべきだ。

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駅前の無印で「京都移住計画」という本を立ち読みした。この手の本が幾つか出ていて本気で実践している人が少なくない。

でもブランドのファッションを身につけようとするような、スタイルの選択みたいだ。

服装も暮らしも大切でどうでもよいものではないが、無理なく自分に似合ったものでありたいし、執着したくはない。執着せずに旅人であり続けることは正気を保つ方法なので、ごくささやかに二つの街を行き来してきたことは正当化したい。

もちろん「どっしりと大地に根を張って大きく枝を広げている人」の安定感に羨ましさを感じないことはないけど、俺はそういうタイプじゃないということだな。