応援

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サッカー日本女子決勝、見てしまいました。
フランス戦の後半でもふと目が覚めて、ちらりと見たらギンギンに興奮させられた。
あの時には、これから日本人は「あと10分しかない」という言い方ができなくなるような体験をしたはずだ。
そんなトリップ感を期待して決勝も観戦した。モーガンを潰しておかんとなあと話していたら案の定、やられてしまった。もうちょっとで得点というシーンが両者共に続いて、とてもエキサイティングなゲームだったが、それにしても、再三にわたりまさかの逆転劇を見せてくれたチームがこれまであっただろうか?
スポーツの応援に全身全霊を賭ける人は、あの陶酔感がこたえられないのだろうな。
スポーツ、とくに団体競技は苦手だったから、応援などのお祭り騒ぎも愚行と考えるようになった。
根性、悲願、地元出身とか大嫌いな言葉がこれらの行事の周辺にたくさんある。
こんなことを言いながらテニスの4大大会の期間中はテレビに釘付けなのだけどね。
とても孤独な戦いだから共感できるところが多いのですな。まあ、好きだったら理屈はいくらでも見つかる。「あらゆる論理は感情論理である」これは40年前に悟った僕にとっての真理。
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応援への違和感に近いのが、盛り上がるコンサートでの全員総立ち。アレが始まったら帰りたくなる。
そういうことをすると、周りの人は気分を害するだろうし、だから滅多に大コンサートには行かない。
歌わない、踊らない寂しい人間だが、一度だけ甲子園高校野球に行ったことがある。
たまたまだったが沖縄代表のサイドで、そこに居る人々の本気度には圧倒された。
羽織袴、髭もじゃ学生帽のオッサンが必死の形相で叫んでいて、僕も思わずお付き合いで応援してしまった。なかなか本気になれる事って無いもんね。
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もし、僕が本気で応援とか踊りとかやったら、こんな風になってしまうでしょうね。
ではまた。