表彰式

からりと晴れて暖かな土曜日、いつもならテニスに行ってるところだけど、今日は先日審査した高校美術展の表彰が県立美術館であるし、女房も昨日から京都だ。
いつものように、この10年間変わらず、7時20分からピーター・バラカンweekend sunshineを聞く。
同い年のこの人の感性は、ものすごく近いものがあって、きょうはハンク・ウィリアムズの特集だったのだけど、芋くさいと思っていたカントリーが今、すごく心に沁みる。その思いがビリビリと伝わるのが恐ろしいほどだ。
車に折りたたみ自転車を積み込みゴンチチの番組を聴きながら市内へ。
きょうの行動の中心に位置する比治山公園に車を置いてチャリで県立美術館へ。
満潮で喫水線が上がった川面に街路樹の紅葉が映ってきれい。
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今回の展示で一番気に入った作品はこれ。
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割り箸を彩色してランダムにグリュウガンで接着していて、中にはスピーカが仕込まれていて何やら呟くというプラスもある、呉宮原高校のグループ制作作品。
表彰式はえらく厳粛で、もっと気楽にやればいいじゃないかと言いたくなるほど。
ブラウン系のカジュアルで決めた俺のファッションは黒づくめの会場で浮いていた。
審査員のコメントとして「広島は市内に3つも本格的な美術館を持ち、美術大学もたくさんあるが、こんな所は日本でとても少ないけど、広島の人はあまり自覚していないな。」とか「自分の作品のどこが良いのか、狙いなのかを観客にわかりやすく理解させることができれば、世界のどこででも生きていけますよ。」といったことを話す。
先生方は熱心で、まじめな生徒は先生の期待にしっかり応えようとして努力していて、その結果として学生作品は高い完成度だけど荒削りなパワーやオリジナリティには乏しくなっているように感じる。
でも、そんなことは発言できない。みんなの善意の結果なのだから。
こんなことが日本の中でたくさん起こっているみたい。
はみ出たり、はずれたりすることの意味、意義を説得する方法を考えなければならないな。

その後、スキタイ美術の展示を見る。
ウクライナ遊牧民の紀元前4世紀の精緻な工芸。
黒海の北でも二千数百年のあいだに様式がいろいろと変わっていった。

長い時間だ。