車内の光景

営業活動で山口方面に2回ほど出かけた。
現地で元校長先生に幾つかの高校へ案内していただくというもので、そこまではJRなどで行く。
これは岩国駅跨線橋。どこかアーリーアメリカン。基地があるから?
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ちょうど通勤通学の時間帯に移動するので、普段は目にすることの無い、もうひとつ別のリアルな生活を眺められた。
山陽本線でも乗客は通勤よりも通学が多い。ホームではきちんと並ばずに何となく周辺に散在して、少し混んでいたら無理に乗り込もうとしない。ゆるーいラッシュアワー。(ただし、これが周辺から広島方面行きだったら前述の状況は全く異なっているのかもしれないので、一般論として受け取らないでくださいね。)
沿線には高校がいっぱいあるので、いろんな制服の生徒さんが乗り降りする。その姿、言動の差異が印象的。「お嬢様校」らしき生徒は楚々として物静か。方や「もうどうでもいいんです」みたいに虚脱した女子高生もいる。ちょっと悪そうな男子生徒が話す教師の話題の中に知人の名前があり、彼の苦労がしのばれる。
そういえば、ここしばらく普通列車の旅をしていないな。
多種多様な人たちが乗り降りするローカル鉄道での印象については、これまで何度もBLOGに書いているように、貴重な感触を得ている。その中には時代の変化もあり、自分が歳をとって彼らから遠ざかっただけで変わっていないこともある。総じて最近の高校生は静かでおとなしくなっていて、ギラギラした暴力性や反抗的態度は見られない。それは結構なことだが、内向し、屈折しているのかもしれない。
岩国、柳井、柳井から光、柳井から大島。だいたい自転車で走っているし、何度か車でも来ている。それほどの変化も無く、人々は穏やかに暮らしているようだ。
しかし、若い人の流出は続いているし、この風景を維持している中高年が動けなくなったら、日本の田舎はどうなってしまうのだろう?
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沿線には工場地帯もあって、煙突から煙がもくもくと上っている。
何故か煙突が好きで、煙を見ていると飽きない。ユングのような原型論やフロイト流で解釈してみてもいいが、ともかく惹きつけられる。ノートに煙を描き、連想して水の流れ落ちる様を描いてみる。
岩国の先には通津つづ、由宇ゆう、神代こうじろ、とユニークな地名が続く。何故だろう?これもノートに書いておく。
営業活動をしてみて、全然知られていないことがわかった。それでもこの地区からの入学者がいる。どうやって
調べたのか聞いてみなくては。また、学生たちの故郷を見られたことも収穫だった。家庭と同等に地域も大きな影響を与えるものだ。
少し涼しくなり、まもなく後期が始まる。その準備はこれからだ。