旅支度

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 しばらくの留守の間に進められるように、印刷関係など幾つかの仕事をこなす。どれだけ「お洒落に」きめられるか、という執念と、個人に傾きすぎず、伝達ができるような客観性とのバランス。これはひとりでは難しい。デザイン作業で分業が行われる理由だろう。
 美術系クラスを持つ高校の発表会をふたつ訪問。描写(デッサン)がコピーのような写す作業になっていて、再構成的な造形が行われていない。慎重に規則的に鉛筆が使われ、汚れや乱れ、偶然の効果が見られない。
コンピュータのスキャンみたいだ。
「写真みたい」と言う人が多いが写真の方がよほど表現的だ。
「受験を意識しているから」だそうだが、こんなデッサンで通るのか?
手作業としては間違った方向に進んでいると思う。
多分、自分が日常、コンピュータに浸かっているので過敏になっているのだろうけど、「Far From芸術の現代的意義」ですな。
英語や国語も同様だし、受験教育や入試が絡むと結局大学の責任ということになり、大学は就職を目指して「社会から求められる(即戦力の)人材の育成」に邁進。
人材。
即戦力。
寒々としてきますね。

 さて、旅の準備で以前に集めた地図などひっくり返していると、昔のカードやパスが出てきて、そこに貼られた自分の写真に絶句。わずか十数年とはいえ大きな変化、つまり老化がありありと。
 実に人生は短く、時は夢のように過ぎ去る、と感慨にふけった夜、TVで「ベンジャミン・バトンの・・・・・」が流れて没入。
何故か、「ワシは7回も雷に打たれて・・」という爺さんの落雷映像が一番印象に残った。
 出発が近づいて、ようやく歩くコースやら食べることなど幾つかのガイドブックやWebで調べる気になり、ちょっとはその気になってきたが明らかにモチベーション(主にルネッサンス芸術への憧れ)は低下している。市内のスーパーを探して喜んだり・・。
 いつものように自転車を漕いで家に帰り、ビールを飲んでコタツにもぐって猫を擦っていたいのだ。ベネチアは初めてだし、他の街も2回訪れたぐらいで語れるような所ではないが、どうも新鮮な何かが得られないのが原因か。
 もちろん、旅の楽しさと家庭の楽しさは別個のものだから比較することはないのだが。
3月上旬のBLOGに何を書くか、自分でも楽しみです。