京都にオフなし

イメージ 1

京都二日目はKZ大学の卒業制作展などを見る。
駅近くに来ていた友人夫妻と待ち合わせて七条の古い銀行を改装したレストランで昼食。
それからタクシーで岡崎へ。
ドライバーは昔バーのピアニストをしていたそうでカラオケで廃業した仲間はみんなタクシーとのこと。友人夫妻はともに音楽家で学生時代にはジャズ演奏でバイトしていたから話は結構盛り上がった。
今月は上旬もS大の卒制を見ていて、派手な教授陣を揃えるKZ大には期待を寄せていたのだが、「全体としてレベルの高さを感じさせる」とは言えないものだった。
もちろん優れたものは少なくないが「へぇー」というものも多くて、全体の緊張感が欠けているように思われた。
年によって差が生じるものだが3年前に集中的に見たときの高揚感はどこに行ったのだろう?
或いは見慣れて印象が薄くなっているという自分の問題なのか。
確かなことはインタラクティブと呼ばれる傾向の作品がほとんど見られなくなったことだ。これについてはじっくり調べて考えねばなるまいぞ。

お向かいの近代美術館では「椿昇展」が開かれていて、あいかわらず巨大で難解な作品がドガンと展示されていた。
彼とは学生時代からの知り合いなので様々な思いを込めて見た訳だけど、強力に美術の存在意義を主張していることには共感できた。
美術はいま、学校での美術は情操だし、社会では装飾、良くて教養という扱いだが、彼は堂々と「思想」を提示している。

ということで、この日はけっこう疲れた。
家に帰って風呂を浴び、ビールを飲みながらささやかな夕食を母と食べる。
同じようなことばかり繰り返し話すけど、至って元気、ありがたいことだ。
近くの兄貴や妹のように普段の世話は出来ないので、やれることとしてちょっと変わったことを考えているが今回は小さな縁側の塗り替えなどの塗装をしてみた。
こういう工作をするたびに親父がコマメに修理をしていた痕跡が伺える。電気配線から左官、大工仕事まで何でも出来る人間だった。

2月25日は北野天満宮梅花祭だったけれど、天気も悪いし人出も多そうだから一日送らせて、晴れ上がった翌日にいったのだが、バスは満員だし社内はカメラを持った人だらけ。「きょうならガラガラやで」との想像は大はずれ。花は7分咲きで暖かな花見日和だったが、本当に京都の名所には穴場もシーズンオフもなくなってしまった。
近隣の気の利いた店はどこも行列で、ブラブラと千本まで歩いてニシンそばを食べる。でもファミリアな店で味も良かった。
ただ、この日の花粉は強くて帰宅してから眼はデロデロ、鼻グジャグジャ。
悪夢の一夜を過ごし、ただいま広島に逃げ帰る新幹線車中です。
午後からは会議だ。
また、別の時間へ戻ってきた。