また京都

京都に来ていて3日目。
報告書の素案を打ち込んでいたら無線LANの表示が受信レベル60%ぐらいにあがっている。実家の西隣あたりに親切で開放的な方が居られるようだ。
ではBLOGの更新を試みよう。
雨の強い火曜日に高速バスで大阪に出て、国際美術館の「アヴァンギャルド・チャイナ」へ。堂島の開発が進行していて高層ビルが並び立ち、土地勘が狂ってしまった。東京ばかりでなく大阪もわからなくなってきたか。
絵画作品以外は粗雑で、なぜ極東の国が欧米の前衛を真似しなくてはならないのかねと、おそらく50年前の日本人が受けたはずの疑問を抱き、興味を抱けず、隣の科学館でプラネタリウムでも見るかと上階へあがってみると、展示第2室があり、入ってみて驚いた!
極めてリアルに作られた老人が死人のように車椅子にかろうじて乗っていて、そんなセットが20以上はあるか、キュッキュッとタイヤ音を鳴らしつつ緩やかに進行して、衝突しそうになるとセンサーで感知し、方向を変える。
ユダヤ教の僧侶やアラブの爺さんなど、アジア系の人間はいない。なぜだろう?
死人だけの老人ホームみたい。
ガーーーン!こんな経験は久々だ。
興奮しつつ次の部屋に向かって壁をまわると遠くにアラブゲリラの装備をつけた長身の男が壁穴を覗き込んでいる。
これも非常にリアルな人形で、一目でビン・ラディン師とわかる。
引き返して先ほどの会場を見ると小さな穴があった。なるほど中東を見つめている訳だ。解説を読んでも納得できない作品が多い現代美術にあって、これほどわかりやすくていいのかねと思うほどにシンプルだが、この展示はずっと忘れないだろうし、何度も思い出させられるようなことがこれからも起こるだろう。

次の部屋の大型スクリーン8面の映像作品も非常に洗練された映像と音響で、中国庭園で遊ぶ男女のシーンをあちこちに飛ばして出来事を多面的に描き出す。
これにも感心させられたが共に70年代以降に生まれた世代の表現であり、中国の成長は経済だけではないことを知らされた。

この続きは広島に帰ってから。