実用的な美術

それほど多くはないが印刷、デザイン、テレビCMなどの企業から求人があり、卒業生が仕事に就く。
美術が社会の役に立つ。ちょっと感激。
写真を撮ったり、映像を編集したり、版下を作成したりすることで収入を得ている人は多い。
世間的な意味での、いわゆるデザインという領域で、そこから虹のスペクトルのようにアートまで連続的なつながりがある。
「教養や情操では美術の将来は無い!」と新しいコースを立ち上げたのだが、まだまだ自分の中では整理がついていない。形式を変えただけで目指しているものは相変わらずアートだろう。
担当しているCGの授業で、創作よりも実用性に徹してイラストレータのトレーニングをしてみた。
この創作と実用性のバランスは難しいものである。
「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しつつ、解決を探るという行為が要求されるのだが、これは絵画、特にデッサンを経験した学生にその能力が高い。
イラスト(マンガ)系で修正が苦手になるのは、描く対象が具体的なものではないことと、汚れへの嫌悪が原因しているのではないかな。またオリジナリティへの志向も希薄だ。
ということで「やはりデッサンが美術の基本だ。」ということになりそうだが、このデッサンも結構形式的なものが多くて、「自然に」対象を見て手が動いたとは思えない描法が指導されている。
入試の実技課題では、そんな形式的なものが多数を占める。「型の文化」とはいえ、こんなことで良いのだろうか?
多分、我々、採点者の心理を見透かしているのだろう。雰囲気というか可能性の予感のような曖昧なものよりも、構図とか位置関係とか強弱などの誰でもが同等に判断できる「客観性」を充足するべく生み出された「対策的な」描き方なのだ。
そんな手垢には無縁なコンピュータを使った造形訓練、またそこから生み出される個性。
わからないことばかりだが、可能性に満ちていることは確かだ。
旧世代が危惧するほどの危険はない。