桂離宮へ

桂大橋周辺は数少ない身近な自然だった。それだけに思い出も多い場所だが離宮の存在を意識したのは50年前に大学の授業で訪れてからだ。

見せてやってる、という案内人の高慢な態度が印象に残っている。

公家の普請道楽で何を偉そうにとムカついたが、今は勿論そういうことはない。それでも身分証明など固苦しい。

良く出来た庭が維持保存されているのを外国の学者が日本美の典型と持ち上げて有名になった。

一方で 日光東照宮は 俗悪の極みとして貶められる。俺もそういう価値観の中で育った世代の人間であるが、次第に疑問を感じるようになった。日本 美も 単一でなく多様であるということだが、第一に 美的な評価は他から教えられるものではなく、自分自身で決めたいと思う。

今回 印象に残ったのは 近くを走る 阪急電車桂川を渡る 鉄橋から生じる騒音の大きさだった。

数分おきに押し寄せる 大音響の波を防ぐ術はない。これでは月見も楽しめまい。

群雲のような松の仕立てや変化に富んだ敷石、数寄を凝らした東屋など楽しんだが、俺の好みは坪庭のように小振りな庭なのだ。

この日の午後は実家近くの本願寺でギンギラの唐門を眺め、飛雲閣を遠望して日本美を思った。